ハーモニーのために
パープルムーン
夜の砂漠に一人でいるのが心細くて、私は乗っている馬の背中をやさしくなでていた。それで馬は落ち着いたのか、今は一定のリズムに乗って歩いている。その安定した揺らぎが眠りをさそい、いつの間にか眠りについていた。気づいたのときには馬はもう歩くのをやめ、見知らぬ街角で佇んでいた。月明かりがその新しい街をまぶしく照らしていた。コンクリートの建物が並び、広い路地と狭い路地が入り乱れていた。どこか陰気な雰囲気があり、野良猫がゴミ捨て場と水たまりのあたりをたむろしていた。

ふと、遠くから聞き覚えのないうるさい音楽が聞こえてきた。それに続いて人々が叫び、笑っているのも聴こえた。私は馬から降り、音のほうへと歩いて行った。路地を進むと錆びた店の看板がいくつも並び、濡れたアスファルトが不気味に月明かりを反射していた。それからさらに進むと人々が集まっている広場のようなところに出た。そこはネオンサインであふれ、バーとディスコばかりが集まっていた。人々は暗闇の中でレーザー光線とステージライトに照らされながら酒瓶を振り回し、狂ったように踊っていた。

私は少し遠巻きにその光景を見つめた後、すみっこにある人気のなさそうなバーを見つけてそこへ歩み寄った。白いバーで、紫のネオンで「Purple Moon」と店頭に書いてあった。派手な色の髪の毛と服装をした人たちが大声を上げて出入りしていた。私はまるで別の惑星に来たかのような錯覚にとらわれた。恰好は奇抜そのもの、そしてどの人も正気ではない。私は他にすることもなく、思い切って入ってしまった。中はスモークと酒の匂いが立ち込めていて、爆音の演奏が鳴り響いている。個々の楽器の区別もつかない、ハーモニーもない、何もかもごちゃごちゃになった音の集合体で、音楽とは呼べそうになかった。私は頭が痛くなるバーの中を進み、ストゥールを見つけて座った。そこでため息をついた。しかし、もはや頭の中の声も聴こえないくらい周り中は狂っていた。これから何をするというあてもなく、ボーっときらめくステージライトを見つめていた。

「何があったんだい。」

突然隣からぶっきらぼうな声がして、あわてて見るとそこには紫の髪の毛の女の人がいた。天井からの青い色が放たれているから、おそらく明るみでは赤毛だろう。セミロングでストレート、銀色のハリネズミのような髪飾りをしている。目はマスカラとアイシャドーで真っ黒で、唇は真っ赤だ。鼻のわきには透明に光るストーンのピアスをしており、また、耳には奇抜な形をしたピアスをしていた。上着は革ジャンで、ズボンは穴がたくさん開いていた。ブーツも当たったらけがをしそうなくらいとげとげだった。私はそのような奇抜な格好にまた恐怖感を覚え、恐る恐る答えた。

「私ですか?いえ、特には…。」

「あんたみたいな人は、相当なことがない限りこんなとこには来ないね。」

そういってマスターを呼んでお酒を注文した。

「言いたくなければいいんだけどね。あんた、見ない顔だからさ。パープルムーンには通なやつしか来ないから。あ、あたしはアゼイル。あんたは?」

「私はモニカです。」

マスターがマティーニを持ってきた。それをアゼイルは私に勧めた。

「一杯どう?どうせいいことなかったんでしょ。だったら憂さ晴らししちゃえばいいじゃん。」

私はグラスを少しの間見つめ、そっと自分のほうに寄せた。そしてゆっくりと液体を口に含み、のどに通らせた。苦味と解放感が混ざったような不思議な味がして、私はグラスをカウンターに置いた。自分を見失ってしまいそうでまた怖くなったのだ。そして私はチラッとアゼイルのほうを見た。彼女は自分のお酒をゆっくりと飲み、中央できちがいのように踊っている連中を眺めていた。
「自由ってなんでしょうか。」
ふとそう思って聞いてみた。アゼイルはこちらを驚いた目で見つめ、薄笑いを浮かべた。
「何?あんたここに自由を求めに来たの?あんたみたいなお嬢ちゃんが?やめといたほうがいいね。自由ってほんと汚いよ。あんたが思っているみたいに素晴らしいものじゃない。大空で白い鳥がパタパタ‐ってもんじゃないんだよ。」
最初のうちは笑いかけていたものの、最後は悲しげな眼でグラスの中の氷を回転させた。
「それはもうすでに思い知らされました。自由なんて最低です。要するに、裏切られたんです。私は。すごく好きだったのに、たったの一夜で。でも、自由ってないとないで苦痛なんですよね…。」
「へー。失恋か。思った通りだ!あんたはやっぱりまだわかってないよ。残酷の度合いが違いすぎる。でもさ、確かにないとないで不満なんだよな。不思議だな、あたしらって。」
「でも自由というものを知らなかったら、不満であることは可能でしょうか。何も知らないで、箱の中で幸せに暮らしているほうがいいんじゃなかったのかと、何度も思うんです。」
「そりゃあそうかもしれないけどさ、でも人類昔からずっと自由になろうと相当骨折ってるんだよ。どんなに残酷でもさ、知りたい、って思っちゃうからなんだよ。それって問題だろ?でもそうなっちゃうんだよ。そういうもんなんだよ。」
私は口を噤んでグラスにまた手を伸ばした。次はあまり怖くなかった。冷たい液体がのどを滑るように流れ込み、苦い甘味が口の中に広がった。続けて一気に飲み干し、グラスをカウンターにたたきつけた。いまさらながらに自分がしてきたことが嫌になってきた。この不思議な世界に迷い込む前も、迷い込んでからも、何もかもやり直したいことだらけだった。ジャックの顔が頭に浮かんできたときに、胸が火傷するぐらい熱くなり、頭がくらくらしてきた。バーテンダーがおかわりのお酒を用意している間に、私はボーっと人だかりを見つめた。次から次へとお酒をのどに通し、揺れる世界を陽気な気分で眺めた。鼓膜を破るような音楽はもう全く気にならず、紫や青い光がやけにまぶしく見えた。
「おいアゼイル、一杯おごってやろーか」
数人の派手な男たちがアゼイルを囲んで騒いだ。アゼイルはそいつらには気も留めず、自分のお酒をゆっくりと飲んでいた。つまらなくなった男たちは、ふと私の存在に気付いて、興味深々の目で見つめてきた。
「ねぇねぇ、君あまり見ない顔だね。何かおごってあげよーか。」
緑のモヒカン頭の男が薄笑いを浮かべて私に話しかけてきた。全身革ずくめで、銀の指輪やネックレスなどのアクセサリーをびっしり身に着けている。
「いえ。もう十分飲みましたから結構です。」
私はアゼイルを見習って丁重に断った。緑のモヒカン男が残念そうにして、諦めようとしたときに別の男が話しかけてきた。
「じゃあ一緒に踊ろうよ!気分晴れるよ」
その男は集団の中で一番地味に思えた。髪の毛は茶髪で、少し長めでくせ毛だった。恰好はラフで指輪やネックレスもしていたが、一番まともだった。周りの男たちも口をそろえてその提案に乗り、次々と人々の渦へと入っていった。私はその地味目な男を眺めてから人だかりに目をやった。するとその男は私の腕をつかみ、軽くウインクしてからダンスボールの元へと引っ張った。
「ちょ、ちょっと!」
私は彼の失礼な行動に腹を立てて腕を振り払おうとした。しかし、今まで飲んだことないぐらいのお酒を飲んでいたためか、力が入らなかった。足もふらふらしていて、アゼイルに助けを求めることもできなかった。あっけなく人ごみの中に連れて行かれ、人々の熱気とレーザー光線に包まれた。自分のこともコントロールできなくなって、すべてがどうでもよくなってしまった。私はうるさい音楽に身を任せて周りのように踊り狂った。今までやったこともないのに、自然と体がリズムに乗って動いた。そんな私を彼は面白そうに見つめた。凝視されていてもあまり不快感はなかった。頭がもげそうで足もねじれそうなぐらい動き回り、世界がぐるぐる回るのが面白くて気分がよかった。
頬に冷たい湿った風が当たり、目を覚ました。いつの間にかに泥酔して眠り込んでいたみたいだ。私はバーの外にある木製のベンチに横たわっていた。オレンジ色の街頭がところどころで光り、道を照らしていた。ゆっくりと体を起こすと、頭が割れるように痛かった。両手で頭を抱えていたら、頭上から声が聞こえた。
「あんたさー。あんま飲んだことない癖に無理しないでよ。気分落ちてるとそうなるのはわかるけどさぁ。」
上を見上げるとアゼイルがミネラルウォーターのボトルを持って私をあきれた目で見ていた。そのボトルを私に手渡し、ベンチに腰を掛けた。私は目をそらしてボトルの水を飲んだ。
「あと、あーいう男には気を付けたほうがいいよ。あたしが止めなかったらほんと危なかった。」
「何が?」
「え、覚えてないの?全くほんとに危なっかしいなぁ…。」
どうやら私は踊りだしてから何も覚えてないようだ。アゼイルは大きくため息を漏らした。
「あの後あんたはあいつの言うとおりにバーから出てホテルに直行しそうだったんだよ?それをあたしが止めたらあんた泥酔しちゃって眠り込んじゃってさー。あいつは諦めてどっかいっちゃったよ。」
アゼイルの話が信じられないくらいショックであった。自分は普段から気を付けていると思っていたのに、知りもしない相手に身を任せてしまったことに驚愕した。
「そうだったんですか…。私、自分を失って…」
「ま、あれだけ飲んだらふつうそうなるけどね。これから気をつけなよ。」
「すみません。ありがとうございました。たぶん、幻想抱いてたんです。あの男の人、私が好きだった人の雰囲気にちょっと似てて…。それでたぶん警戒心勝手に緩めちゃったんです。」
「そっか―…。その人とはさ、ちゃんと話せたの?蹴り、つけられなかったんじゃない?」
私は少し笑って頷いた。その瞬間、今まで抑え続けていた感情が一気に流れだした。大粒の涙が頬を伝って、アゼイルの顔がぼやけた。アゼイルは私の肩を取って抱き寄せた。
「仕方ない子だねー。たく、今日はあたしんちおいで」
そして足に力の入らないままアゼイルの家に向かった。

アゼイルの家は想像ほど派手で不健康的ではなかった。バーのすぐ角を間だったところの小さなマンションの一室で、小ぢんまりとしていた。部屋の中には見慣れない電子機器やおしゃれな家具があり、お酒の瓶が何本も並んでいた。薄暗い照明の中、私は柔らかいソファーに腰を掛けていた。アゼイルは台所でコーヒーを淹れていた。

「んでー。どんな人?なんで別れたの?」

アゼイルがマグカップを二つ持ってきて、ガラス製のテーブルの上に置いた。

「素敵な人でした。緑の目がすごくきれいで、さわやかで、やさしくて…演奏がうまくて。一緒にいて楽しかったな。だけど…すぐ次の日に旅に出ちゃって、それからもう私のことなんか忘れちゃったのよ。あんなに私に惹かれたとか言っておいて、ほかの人と一緒にいて。結局だれとでもよかったんだわ。」

そういってから苦いコーヒーに口を付けた。アゼイルは私の隣に座ってコーヒーを飲んだ。

「そうかー。ま、仕方ないね。口のいい男に限ってそんなもんだから。まだ何もなくてよかったじゃん。」

私はチラッとアゼイルに目を向け、少しため息をついてから笑った。

「アゼイルさんにそういわれるとなんだか自分の問題がちっぽけに感じてきました。なんか、楽になったみたいです。ありがとうございました。」

「いいよいいよ、たいしたことしてないし。もう寝なよ。一番奥の部屋、空いているからさ。」

「はい、ありがとうございます。じゃあ遠慮なく。おやすみなさい。」

そういってそのまま部屋に入った。物置のような場所だったが、整頓されていた。そのまま荷物を隅において、中央においてあったベッドに寝転んだ。そしてそのまま眠り込んでしまった。
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