フィアンセは恋わずらい中

「明朝にでもいただきます。ご丁寧にありがとうございました。お帰りはどうぞお気を付けください」

 朝比奈は、紗夜を正面入口まで見送り、その足で車寄せのハイヤーに乗って去っていった。


(やっぱり、ダメなのかな)

 今回の件はなにも変わらないとハッキリ告げられたら、希望が風船のように割れた音がした。

 しかし、あと数日は期限がある。その日まで回答を待ってくれると約束も取り付けた。

 そうなれば、できる限りのことをするだけだ。
 例え、朝比奈に冷たくされても、再開発の件がなくならないとしても、今日まで努力してきた自分の夢を簡単に消されたくない。

 紗夜は足早に代官山へ電車で戻り、翌日の仕込みを済ませて帰宅し、レシピノートを開いた。


(朝比奈さんが好きそうなパンを差し入れよう。それから、新商品も考えておこう)

 店がなくなると決まったわけではない。
 これからも今の場所で店を続けていくと決めているなら、お客を喜ばせられる商品を作り続けるだけだ。

 紗夜は、朝比奈がパンを受け取ってくれた時の微笑みが、きっと彼の心に隠されている本来の優しさだと信じていた。

< 34 / 52 >

この作品をシェア

pagetop