氷室の眠り姫


しかし約束の日が近付くにつれ、紗葉の表情から色が褪せていった。
それが分かっていても柊も花凛もかける言葉を見つけられない。

紗葉は自室から庭を眺めながらぼんやりとすることが増えた。

「紗葉?何を見ていたの?」

母親の声にハッとして扉の方へと視線を移したが、すぐにまた窓の外へと戻した。

「……特に何というものでも…ただもうすぐ満月だな、と」

満月の夜。それは紗葉が後宮入りする日でもあった。
だからどう、というつもりもなく、気持ちの整理をするだけだった。

「ごめんなさい、流…」

小さく呟かれた言葉は誰の耳にも届くことなく消えていった。






後宮入りが明日に控えて、紗葉の部屋には明日の為のきらびやかな衣装がかけられていた。
しかし、紗葉にとってそれは何の価値もなかった。

それらに見とれることなく、自分が用意したお出かけ用の服に着替えだした。
これは紗葉が流と初めて出会った時に着ていた服だった。
たとえ流に見てもらうことができなくても、流の為にお洒落をしたかったのだ。

「後はこれを…」

紗葉が身につけたのは菫青石(きんせいせき)が使われた首飾り。
これは流からの贈り物で石の意味は“初めての愛”

紗葉はこぼれそうになる涙を必死に抑えながら部屋を出た。


「父様、行って参ります」

「……くれぐれも気を付けるように」

それだけを告げると柊は自室へと戻っていった。

今日出かけるのは紗葉の当然の権利であると同時に許されない我が儘であることは分かっていた。
だから最終的にそれを許してくれた父に、紗葉は深く頭を下げた。


十数分後、紗葉は流との待ち合わせが遠目から見える喫茶店の中にいた。
無論、同じ店内には柊が同行させた家の者がいた。

「……後、三十分」

店内の時計で確認すると、視線を外へと戻した。
そこに待ち人の姿はまだない。

紗葉は静かに流との出逢いを思い出していた。


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