私は強くない
俺の部屋で、一晩過ごした倉橋を車で送っていく間、返したくない、と思っていた。
まだ、お互いの気持ちも聞いていないし、キスはしたが、それ以上は何もなかった。だから、倉橋の気持ちを無視する訳にもいかなかった。

「ここです」

「そうか…」

車を停めて、倉橋が車から降りようとシートベルトを外そうとした時、行くな、と言いかけてしまった。
ここで、戸惑わせても、と思いら勢いですけどキスしたんじゃない事だけ伝えた。

倉橋を送り、家に戻る途中、送ったはずの倉橋から電話を受けた。

「…名取課長…すぐ来て、早く…」

「もしもし?」

すぐに切れた電話に胸騒ぎを覚えた俺は、来た道を猛スピードで戻った。
どうして、あの時引き止めなかった?
尋常じゃない、怯えるような声。
いつもの倉橋じゃない、何かあったんだ。
頼む、無事でいてくれ。
部屋番号を押し、無言で開錠されたドアからエレベーターに乗り、部屋の扉を開けた。

「倉橋!」

倉橋は床に倒され、服も乱されていた。頭に血が昇るとはこの事だろう。
馬乗りになっていた男は、部下である奥菜。
その時、倉橋が付き合っていたのが奥菜だと確信した。

俺は奥菜を突き飛ばし、意識のなくなった倉橋を抱きかかえた。

飛び込んで来たのが、俺だったから驚いて、言葉の出ない奥菜に向かって、「俺が冷静でいる間に帰れ!」と言った後、逃げるように、奥菜は帰って行った。

意識のない倉橋を、ベッドに寝かせた。このまま一人で、倉橋の意識が戻るのを待とうと思ったが、男の俺よりも女性がいた方がいいと思い、木村を呼んだ。
木村の電話番号が分からなかったから、同期だった、もうAGを辞めていない金谷に連絡を入れた。
話を聞いた2人は、すぐに倉橋のマンションに来てくれた。

2人とも、奥菜のやった事に対して、かなり怒っていた。そして、俺も話を聞いて、あの時殴っておけばよかったと思った。

「その話本当なのか?浮気されただけじゃないのか?」

「本当ですよ。俺も拓真を問いただしましたからね。聞いた後に殴りましたよ」

「陽一、殴ったなんて言ってなかったじゃない!殴ったの?」

「拓真は友達だけど、慶都さんは俺らの指導員やってくれた人だろ、それに美波にとっても信頼出来る人だろ。許せないじゃないか」

「浮気したあげくに、妊娠か…」

「それで、また慶都さんに手を出そうだなんて…」

昨日、泣いていた倉橋を思い出していた。そんな事があったのに、会社じゃそんな素振りも見せず。
我慢してたんだろうな、だから『強い』の言葉に反応したんだな。

そんな話をしていると、ドアの向こうから物音が聞こえた。

倉橋が起きてきていた。

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