結婚願望のない男

…と、そんなことを考えていると、店内のどこかからかわいらしいオルゴール音が響いてきた。
山神さんと私は思わず同じ方向を見る。

壁に、これまたレトロでかわいらしい鳩時計がかかっていた。
音に合わせて鳩や木こりがくるくると動いて、レトロな店内に彩りを添えている。

時刻は三時。ここで待ち合わせてからもう一時間近く経ったのか。なんだかあっという間だった。

「…そんなに真剣に悩まなくてもいいぞ。思いつきで言ってみただけだ。さっきも言ったけどすぐに行こうとは思ってないし。通院が終わったらまた連絡するから気が向いたら教えてくれ。…要件はこれで全部だよな?俺はそろそろ帰る」

そう言って彼は伝票を持ってそのままレジに行こうとする。

「あっ、ちょっと!お会計は私が」

「あんた、さっきの見舞金の不毛なやりとりをここでもう一度するつもりか?」

「う…」

私はあわてて荷物をまとめてレジまで追いかけたけど、彼はもうお札を店員に渡してしまっていた。

そして、会計を済ませさっさと店を出て「それじゃあ。自転車に乗るときは気をつけてな」と手を上げた彼に、私は「ち、ちょっと待ってください!」と食い下がっていた。


なんだかんだこちらのことを気遣ってくれているけれど、それにしたって一方的すぎる。これじゃお詫びをした気がしない。

「や、やります、彼女役」

「え?」

「あなたの実家でご飯食べて半日過ごせばいいだけですよね?そのぐらいだったらやりますよ。私にもそのぐらいさせてください」

私は彼の目を見てそう言い切った。

さすがにすぐに返事をもらえるとは思っていなかったらしい。
表情の変化こそ乏しいが、彼は目を丸くして絶句している。
私の意見に聞く耳を持たなかった彼の無表情を崩したことで、“してやった”感を覚えて私の気持ちはさらに昂った。

「怪我が治ったら連絡ください!そしたらその週末にでも、行きましょう!どうせ私も彼氏いなくて暇なんで!」

「……本気で言ってるのか?」

「超本気です!」

「……」

すごく呆れた顔をされる。いやいや、最初に変なことを言いだしたのはそっちでしょうに。

「……また連絡する」

山神さんはぶっきらぼうにそう言って、去ってしまった。


彼が見えなくなって、私ははっとした。

店の外は、来た時と同じくカラリと晴れた空。
急に現実に引き戻された気がした…というか、あの暗い店の中で不愛想な彼と向き合っていた時間があまりにも非現実的で…夢の中の出来事のようだった。

…本当に引き受けるなんて言ってよかったのだろうか?
不安な気持ちが無いとは言えない。
けれど、今更後には引けなかった。

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