結婚願望のない男

放り出した自転車を起こし、私はゆっくりとお得意先へ進みだす。初夏の爽やかな風が、今の惨めな私にはかえって鬱陶しく感じる。

本来客先に行くときは、自転車なんて使わない。ここはオフィス街で、近くにある客先へは徒歩で、そうでないところは電車かタクシーで移動する。

今回は急ぐ必要があったから、オフィスビルの管理人室にある自転車を借りただけだ。それがこんな形で裏目に出てしまうなんて…慣れないことはするもんじゃない。

そんな風に思っていると、ふと頬に当たる風が妙に冷たいことに気が付いた。

(あれ…私、ちょっと泣いてる…)

頬に触れると、涙が流れた後の湿り気がある…。いつから泣いていたのかはよくわからない。事故の前からか、事故のショックで思わず泣いてしまったのか。

(そりゃ、あの男の人も強く言えないわよね…。自転車で突っ込んで来た女が上司に怒鳴られて半泣き状態だったら…)

とりあえずこれ以上化粧がぐちゃぐちゃにならないよう気を遣いつつ、ハンカチで軽く顔をぬぐった。

< 3 / 78 >

この作品をシェア

pagetop