神様が飛んだ日
今日も死にたい


「美代様、お祓いの時間でございます」

この名前の大変面白いところは、美しい代を織りなす神様であらせられるから、とつけられたところだ。
前の名前は神様の御名とするにはちょこっとばかし不向きだったらしい。まあわかる。〝春野〟だからな。
ちょっと抜けてる感は否めない。
でも私は、前の名前のほうがよっぽど気に入っている。
私のことを〝春野〟と呼ぶ人はいなくなってしまった。

お母さんもお父さんもおばあちゃんも、私のことを「美代様」と呼んでそれ以上踏み込んでこない。

先代のデブ教祖は、あれだけ贅沢三昧して脂肪を溜め込んでいたというのに、私に与えられるものはお清めの塩と水と、味のないおにぎりである。なんでだよ。どうせならお清めの塩で握れよ、と百回くらい思った。

小さいころから、食べていいものには制限があって、お陰で万年栄養失調気味だった。
お陰で身長なんかまったく伸びなかったし、デブ教祖の五分の一もない私は、がりがりの骸骨のようだった。
私が死なずに済んだのは、給食のお陰である。
しかしその給食ももうない。

「美代様、失礼いたします」

日曜、夜中の三時。
この時間から、私のお勤めは始める。
場所は私の家の庭だ。無駄に広い。
この朝行には、集まれる人間は集まらなくてはならない。
今日は新しい入信者がいる。あまりよく知らない顔だ。その後ろに、私と同い年くらいの男の子がいた。
親子だろうか。かわいそうに。その年で親が新興宗教に入信したなど、どう考えても彼の人生は茨の道となってしまった。同情する。
蝋燭の灯りしかないのでうっすらとしか見えないが、すらりと高い身長に、日本人離れした顔をしていた。ハーフかな。美しいな。
ぼんやりとそんなことを思っているうちに、準備が整ったらしい。
私を中心に縁を描くように信者たちが並ぶ。
いつも思うが、まあまあな人数が揃うので、それなりに壮観だ。
今は十一月。恐ろしく寒い。皆、暖かそうな防寒着を着ているが、私は薄い襦袢ひとつだ。死にたい。
私は玉砂利の上に直接正座しているのに、信者たちは何故か茣蓙を引いてその上に胡坐をかいている。殺したい。


「それでは、これより邪祓いの儀を執り行う」

私の父が、私の背後に立つ。
目の前に、新しく入った先程の美しい男の子がいた。彼も暖かそうなジャケットを着ている。街を歩いた時にポスターで見たくらいの知識しかないが、モデルのような人だった。周りに座る女性たちがきゃあきゃあと騒いでいる。
私的な恋愛は御法度ではなかっただろうか。まあ、楽しそうで何よりである。

父の言葉に、私は襦袢の上を脱いだ。
下にはなにもつけていない。下着をつけることは禁止されている。
ろくな膨らみもない乳を名前も知らない他人に曝け出す。いつも、この時間は死にたいと考えている。
私は首を垂れた。
一度も切ることを許されなかった髪は、正座すると地面についてしまう。
でも誰一人、それを気にする人はいない。
父が、警策を取り出す。
きょうさくだったかけいさくだったか。
お坊さんが、座禅なんかで眠気や気の緩みを叩き飛ばすときに使うあれである。

「依り代様に宿りし邪念よ、その身で昇華されたし」

厨二病丸出しの台詞を吐いて、父は私の剥き出しの右肩に力いっぱい警策を叩きつけた。
痛々しい音が響く。
新しい信者の人が、目を引ん剝いてドン引きしてる。
それとほぼ同時に、信者たちからオリジナルのお経らしきものが唱えられる。
私の中に蓄積されている邪念とやらを祓うための祝詞だそうだ。死ねばいいのに。

父がまた何か言う。
今度は左肩が痛い。
父が何か言う。
右肩が爆発しそうなほど痛い。

これが十八回繰り返されると、お勤めは終了する。
これは私の中に溜まった皆の欲望や穢れを祓い、今日も一日心穏やかで暮らせるように、との儀式である。
私の代から、こんなことをするようになった。

最初のころは痛みで熱を出してよく寝込んだ。死ぬほど痛かった。どうして死なないんだろうって思った。そっちのほうがよっぽど楽そうなのに、って。
〝神様〟の私が病院にかかることは御法度だ。何故なら現代医療にかかると穢れてしまうかららしい。
父はちょっと腰の調子が悪いだけですぐ病院に行くくせに。おばあちゃんなんて現代医療のお薬をこれでもかって飲んでいるのに。

「これにて、邪祓いの儀は終了する。お布施は依り代様に渡しなさい」

人々が集まってくる。
私の垂れた髪など誰も気にしない。土足で踏みにじっても、なんとも思わないのだ。


あーーーーーーーーーー。




死にたい。




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