光のもとでⅡ+

Side 翠葉 05話

 桜林館を出て昇降口へ向かうと、ところどころに生徒の姿があった。
 今日は桜林館が使えないことから部活動が休みになる運動部もあるため、帰りにカフェへ寄って帰ろうだの、カラオケへ行こうだのと楽しそうな会話が聞こえてくる。
 昇降口を出て桜並木を歩けば、今朝撮ったツカサとの写真を思い出す。
「あ……真白さんに送ったら喜んでもらえるかな?」
 真白さんとは先日、メールアドレスと携帯電話の番号を交換したところだった。
 でも写真を送るその前に――
「電話、かな……」
 私は桜のもとに立ち止まり、藤山のツカサの家へと電話をかけた。
 真白さんが出ることを想定してコール音を聞いていると、
『はい、藤宮です』
 ツカサの声に似た、男性の低い声にびっくりする。
 たぶん涼先生。
 でも、どうして――?
 想定外のことに頭が真っ白になってしまった私は、名乗ることも忘れて呆然としていた。すると、
『……この番号は――翠葉さんですね?』
「あっ、はいっ、すみません、翠葉ですっ」
 涼先生はクスクスと笑いながら、
『どうかなさいましたか? 司にいじめられたとか……』
「いえっ、そんなことはなくて――」
『では、何かありましたか?』
「あの……今日がツカサのお誕生日で、真白さんと涼先生にお礼を言いたくなって……」
『お礼、ですか?』
「はい。ツカサをこの世に誕生させてくださり、本当にありがとうございます。ツカサと出逢えたことも奇跡なら、ツカサがこの世に生まれたことだって奇跡で、その奇跡を起してくださったのは涼先生と真白さんだから……」
『……そうでしたか。私たちはお礼を言われるようなことはしていないのですが……。私たちは三人目を望んだ。ただそれだけです。でもきっと、翠葉さんの気持ちを聞いたら真白さんは喜ぶと思います。なので、真白さんに代わりますね』
 そう言うと、しばらくしてから真白さんの声が聞こえてきた。
『え? 翠葉ちゃんから?』
『えぇ。私は仕事へ行きますので、どうぞごゆっくり』
 そう言うと、涼先生の声は聞こえなくなった。代わりに、
「翠葉ちゃん? どうしたの? 司、まだマンションに帰ってない? ずいぶんと前にうちを出たのだけど……』
「いえ、違うんです。私、まだ学校で、これから帰宅するんですけど、その前に真白さんと涼先生にお礼を伝えたくて」
『あら、何かしら?』
「ツカサを生んでくださりありがとうございます。私、真白さんと涼先生が結婚しなかったら、三人目を望んでくれなかったら、ツカサに出逢えませんでした。ツカサと出逢えたことが本当に嬉しくて、嬉しくて――どうしてもお礼を伝えたくなったんです」
『……そう。私も嬉しいわ。司が翠葉ちゃんみたいな子と出逢ってお付き合いしていることが。本当にありがとう』
「そんなっ――私がお礼を言われるのは違うような気が……」
『違わないわ。ここ二年で司の口数が増えたのは、間違いなく翠葉ちゃんのおかげよ』
 そうだとしたらとても嬉しいけれど、私たちふたりは相変わらず会話が少ない。
 とてもおめでたい日にも関わらず、マイナスの感情に囚われそうになったのを寸でのところで踏み留まる。
 会話が少ないのなら、増やす努力をしよう――
 そう思ったところに真白さんの声が聞こえてきた。
『翠葉ちゃん、司がマンションで待ってるわ。早く帰ってあげて?』
「はい! あの、今朝ふたりで写真を撮ったので、あとで送りますね」
『まあ、楽しみ!』
 私はお礼を言って通話を切った。
 時刻は一時過ぎ。
 微熱であることを考慮すると、早歩きで帰るのは避けたほうが良さそう。
 せっかく飛翔くんが戸締り役を買って出てくれたのに、ここで息が切れるようなことをしたらなんの意味もなくなってしまう。
 いつものようにのんびり歩いて帰るとすると、エントランスに着くのは一時半前。
 そこで七倉さんにお願いしていたケーキを受け取ってゲストルームへ戻ると一時半ごろ。
 制服を着替えてお昼ご飯を食べるともなれば、ツカサのおうちに行くのは二時を回ってしまう。
 一度連絡を入れたほうがいいだろうか。でも、電話でもかけようものなら「慌てて来なくていい」と釘を刺されてしまいそうだし……。
 あれこれ考えているうちにマンションにたどり着いてしまった。
「翠葉ちゃん、おかえり!」
「ただいま帰りました! 高崎さん、ケーキの受け取り、今でも大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ。ケーキ取ってくるからちょっと待っててね」
「はい」
 その場で待つこと一分。
 高崎さんは七倉さんを連れ立って、手ぶらで戻ってきた。
 ケーキは……?
 そんな思いで首を傾げると、
「翠葉お嬢様、お昼ご飯はお済みですか?」
「いえ……」
「今日は碧様も蒼樹様も唯芹様もお仕事でらっしゃいますよね? ご自宅に昼食のご用意はおありでしょうか」
「いえ……」
「今日はお昼ご飯の準備できないから、お素麺でも茹でて食べるか、コンシェルジュにオーダーして食べるんだよ? ちゃんと食べるんだからね? 証拠写真送ってよ?」と唯兄に詰め寄られた記憶がよみがえる。
「それでしたら、こちらで簡単なものをご用意いたします。お時間十分ほどいただけますか?」
「えぇと……ものはなんでしょう? できるだけ早くツカサの家へ行きたくて――」
「それでしたら、オードブルにしましょう。ツカサ様もご一緒に摘める程度の分量をご用意いたします」
「どのくらいかかりますか?」
「そうですね……。十分、十五分と言ったところでしょうか。スープパスタでしたらパスタの茹で時間七分でできますが……。よろしければ司様のお部屋へお届けいたしますよ?」
 十分十五分ならば、問題はない。
 何せ自分も、一度帰宅して着替えなくてはいけないのだから。
「じゃ、オードブルでお願いします。九階のゲストルームにいるので、そちらに届けていただけますか?」
「かしこまりました」
 私は一礼してエレベーターホールへ向かった。

 ゲストルームに帰宅すると、自室のローテーブルの上に深紅色の手提げ袋が鎮座していた。
「唯兄と蒼兄からツカサへのプレゼントかな……?」
 手提げ袋の大きさや見た目の感じからすると中身は洋服だろうか。
 中身を想像しながら近づくと、貼り付けられていた付箋は私宛のお手紙だった。
「これを着たリィを司っちにプレゼント……?」
 どうやら蒼兄は関係なく、唯兄が用意したものらしい。
 でも、お手紙の内容が理解できず、思わず首を捻ってしまう。
「これを着た」ということは、洋服が入っているのだろうか。
 とりあえず、中を見ないことにはお手紙の内容を理解するのは無理そうだ。
 心して手提げ袋を開けると、ふわふわとした手触りのオフホワイトのニットと、シフォン素材のシンプルな黒いフレアスカート――に見えるキュロットスカート。そして黒く長いソックスとコルセットブラ。
 突っ込みどころ満載なのだけど、見た目の衝撃が一番高いのはキュロットスカートだ。
「なんでこんなに短い丈……」
 身体に当てて確認すると、膝上十五センチといったところ。
「だからさー、ちゃんと露出抑えるためにニーハイソックス用意したでしょー?」
 いるはずのない唯兄の声が聞こえてくるのだから、唯兄の存在感たるや尋常じゃない。
 念のため、廊下を確認してみたけれど、やっぱり唯兄の姿はなかった。
「これ、着るしかないのかなぁ……」
 唯兄の性格からすると、サプライズプレゼントを狙いそうだから、私がこんな格好をしていくことをツカサに知らせてはいないだろう。
 なら、いつもの格好で行って――……だめだぁ……。
 今日は夕飯をツカサと一緒に食べることも話してあるし、帰宅は九時と伝えてある。
 さすがにその時間には唯兄も帰ってきているだろうし、唯兄が用意していった洋服を着てなければ即行でばれてしまう。
 それに、唯兄の好意……かどうかは定かではないけれど、用意してくれているものを無下にするのは心苦しすぎる。
 自分の性格を恨めしく思いながら、用意された洋服に着替えることにした。
 でも、これを着た私をプレゼントってどういう意味なんだろう……?
 だいたいにして、コルセットブラの意味もわからない。
 私はなんの抵抗も感じずに肌触りのいいふわふわニットに頭を通した。袖に腕を通し形を整えて絶句――
 着てみたところ、両肩がほぼほぼ出てしまうデザイン――つまりはオフショルダー。
 コルセットつきのブラの意味がようやくわかった。
 いつものブラだとストラップが見えてしまうから、こっちに着替えてね、ということなのだろう。
「ううう……用意周到ないたずらっ子とか大嫌いっっっ」
 でもきっと、唯兄はこういう性格も含めて秋斗さんや蔵元さんに気に入られてるんだろうなぁ……。
 そんなことを思いながら、渋々コルセットブラへと下着を変更する。
 改めて姿見に映る自分を見て、顔が熱くなるのを感じた。
 こんな格好をした私を見たら、ツカサはどう思うのだろう……。
 はしたないって思われない……?
 唯兄が「プレゼント」と言うのだから、ツカサが「喜ぶもの」なのだろうか。
 姿見の前で唸っていると、インターホンが鳴った。
 モニターの確認をせずに玄関を開ける。と、高崎さんが立っていた。
「お、翠葉ちゃんにしては珍しい格好しているね? でも今日は司様のお誕生日だし、そりゃお洒落くらいするか!」
 お洒落、してるように見えるの……?
 確かに、色味的にはモノトーンでまとめられていて、洗練されたイメージではあるけれど……。
「ん? 翠葉ちゃん、どうかした?」
「これ、自分で用意したお洋服じゃなくて……。でも、お洒落してるように見えますか?」
「え? お洒落してるように見えたらまずいの?」
「いえ、そういうわけじゃなくて――ただ、普段の格好とは違いすぎるから少し不安で……」
「そこは自分が保証しようじゃないですか。文句なしにかわいいっ!」
 そう言うと、高崎さんは右手の親指を立てて見せた。
「いつもと違う格好のほうが司様も新鮮なんじゃないかな?」
「……だといいな」
 自信を持つのは難しくてそんな返答をすると、
「これ、下段にケーキボックス。間に空箱挟んで、上段にオードブルが載ってるから」
「ありがとうございます。七倉さんにもお礼を伝えていただけますか?」
「ばっちり承ります!」
 高崎さんがいなくなると、私は決心が鈍らないうちに荷物をまとめ、ツカサの家へ向かった。
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