光のもとでⅡ+

Side 翠葉 08話

 昼食が終わると、新たにハーブティーを淹れなおすことにした。
「ツカサはコーヒーじゃなくていいの?」
「翠と同じでいい」
「最近コーヒー飲んでる?」
「ひとりのときに飲んでる」
「私、コーヒーも淹れられるよ?」
「一緒にいるときは同じものを飲みたいだけだから、気にしなくていい」
 そう言って抱きしめられた。
 どうしよう……。こんなに幸せでいいのかな?
 本当に、藤宮に入学してからいいこと尽くめだ。
 つらいこともたくさんあったけれど、今は本当に幸せで、幸せすぎて少し怖くなる。
 胸に顔を埋めたまま、
「ずっと、側にいてね……?」
 小さな声で伝えると、
「ずっと側にいる」
 私の大好きな低い声が、頭上に優しく降ってきた。

 リビングへ戻るとテーブルの上にメガネショップの手提げ袋がふたつ並べて置かれていた。
 どっちがどっちだかわからなくなってしまったそれを、
「こっちの方が軽いから、こっちが翠に選んだメガネだと思う」
 ツカサの判断を信じて、もうひとつのほうをツカサに渡す。と、ツカサは注意深く手提げ袋のテープを剥がし始めた。
「すっごい几帳面だよね?」
「そういうわけじゃないけど、汚く剥がすより、きれいに剥がれたほうが気分よくない?」
「それはとてもよくわかる気がする」
 そんな会話をしながら、ツカサはふたつのメガネケースを開いた。
 そしてまずは、深緑のフレームのメガネを手に取りかけてくれる。
「やっぱり似合う」
 正面から見たりサイドから見たりあれこれしていると、
「こっちもかける?」
 ツカサが指差したのはドライビングメガネに、と購入したブルーライトカットメガネ。
 私は即座に頷いた。
 ツカサからメガネを受け取ってメガネケースへ戻し、再度ツカサに視線を戻すと、
「やっぱりチェック模様かわいい! ネイビーに赤っていうところがポイントよね」
 さっきと同様、正面から見たり、サイドから見たりして思う存分目の保養をしていると、
「翠のメガネ、いつ渡す?」
「え? 誕生日でいいよ?」
 そう答えたけれど、ツカサは納得していないみたいだ。
「どこかへ遠出する際に渡す。せっかく買ってあるのに、誕生日まで待つ必要もないだろ?」
「誕生日プレゼントなのに?」
「誕生日は誕生日で絵をプレゼントするし、その日にこだわる必要はないと思う。どうせまた誕生日当日は試験直前で会食の会期中だろ? ふたりで落ち着いて祝えるのは試験後になる」
「それもそうね? ……ね、写真撮ってもいい? 蒼兄と唯兄にツカサにメガネをプレゼントするって話したら『見たい』って!」
 朝は何を言うことなく写真を撮らせてくれたから、何を言われることなく撮らせてもらえると思っていた。でも、ツカサはものすごくいやそうな顔をしている。
「すごくいやそうな顔……」
「次に唯さんと会ったらどうでもいい感想を言われたり、変にからかわれる気がしてそれが億劫だなと思っただけ」
「じゃ、メガネ替えたことで唯兄がからかわないようにちゃんと釘刺すから」
「なんでそんなに乗り気なの?」
「……ただ、ツカサの写真が欲しいだけだから?」
「それなら、翠もメガネかけて一緒に写るなら引き受けなくもない」
 ツカサは口端を上げて挑発するように笑った。
「だってさっき、ドライブに行くときに渡すって――」
「気が変わった。さ、どうする……?」
「むぅ……わかった。でも、今日は三脚持ってきてないし……」
「今朝の自撮り棒は?」
「あっ!」
 そうだ、家を出るときに「一応」と思って持ってきていた。
 これからは「一応」ではなく、常に持ち歩くことを心がけよう。
 私はバッグから自撮り棒を取り出すと、すぐにスマホをセットした。
「どうせだったら背景にこだわらない?」
「背景?」
「うん! メガネかけてるとちょっとインテリっぽく見えるでしょう?」
「そう?」
「絶対そう! だから、本棚バックに写真撮ろう?」
「ま、別にいいけど」
 私たちは寝室に場所を移し、本棚をバックに写真を撮った。
 ツカサはとっても知的な印象の表情なのに、私は知的の「ち」の字も感じられないほど嬉しそうに笑っていて、背景に意味があったのかなかったのか、まったくわからない写真になってしまった。
「今朝の写真とあわせて真白さんに送ろう」
 ディスプレイを見ながら口にすると、
「それ、なんか意味あるの?」
「え? 意味? 意味はないけど……でも、真白さんは絶対に喜ぶと思うから」
 そう言うと、
「頼むから、姉さんとか兄さんには送らないで」
 一言牽制が飛んできた。
「うん、送りはしない。でもいつか、見せることはあるかも?」
 ツカサは何か言いたそうにして、リビングへと戻っていった。

 四時になり、キッチンに立ってお好み焼きの準備を始めるも、ゲストルームからディスポグローブを持ってくるのを忘れたことに気づき、山芋を触ることができない事態に陥る。
「ツカサにひとつやってほしいことがあるのだけど、お願いできる?」
「何?」
「私、山芋を触るとかぶれちゃうから、山芋の皮を剥くのと下ろすのお願いしてもいい?」
「問題ない」
 私はツカサに山芋を託し、その隣でキャベツを刻み始めた。
 もうこれでもか、というほどキャベツを刻む。
 ふたり分で二、三枚焼くだけならこんなに刻む必要はないのだけど、四枚か五枚焼いて、残った分を冷凍しておけば、ツカサがいつでも解凍して食べることができるから。
 山芋を摩り下ろし終えたツカサは、
「これ、生地に混ぜればいいの?」
「うん、お願い!」
 私はなおもキャベツを刻み続けた。すると、
「そんなに使うの?」
「……えぇと、ツカサは何枚食べられそう?」
「二枚くらい? 翠は?」
「私は一枚。でも、お店で作ってもらったものよりも一回りは大きいのを作るよ。たぶん、四枚から五枚焼けるから、あまったらラップに包んで冷凍しておけば、いつでも解凍して食べられるよ」
 言ったあと、少し不安になった。
 自分の生活にはあまり踏み込まれたくない人だろうか……。
 でも、数年後に結婚するならこのくらいは許してもらいたい。
 そう思っていると、
「助かる……」
 ツカサは小さな声で感謝の言葉を呟いた。
 ほっとした瞬間、正面の風景を見てはっとする。
 私が突然大声をあげたものだから、隣のツカサは柄にもなくものすごく驚いたリアクションをとっていた。
 そして、私が何を見て声をあげたのか、すぐに分析を始める。
「あぁ、夕焼け?」
「ツカサっ、屋上行ってもいいっ!?」
「いいけど……」
 私は簡単に手を洗うと、玄関へ靴を取りに行き、カメラを持ってベランダへ出た。
 そして、いそいそと螺旋階段を上がって屋上へ向かう。
 陽が落ちると相応の気温になり、ちょっと肌寒かった。でも、目の前の光景に、そんなことはどうでもよくなってしまう。
 私はすぐにカメラのセッティングを済ませ、カメラを手すりに載せた状態で何枚かシャッターを切った。
 さらに設定を変えて何枚か写真を撮る。
 撮りたいものが撮れて気分が高揚したままに、稜線に沈む夕陽を見ていた。
 そんな私の隣に立っていたツカサに、
「夕陽、きれいだね……」
「あぁ……」
 神々しさを感じるオレンジ色を見ながら、
「なんか、この時間の光が飽和している感じを見ると、いつも同じことを思うの」
「何を?」
「この光に包まれたら、街も人も、人の想いも何もかもが溶けてなくなっちゃうんじゃないか、って……」
「そんなわけないだろ」
「そうなんだけど……。でもね、写真を撮る人たちの間では、夕陽に包まれるこの時間を『マジックアワー』なんて呼ぶくらい、奇跡的に美しい写真が撮れる時間とも言われているのよ?」
「あぁ、それでカメラ?」
「うん。幸倉の家にいたときは、毎日この時間に三階の仕事部屋から写真を撮るのが日課だったのだけど、このマンションに来てからはそういうの全然してなくて、でも、受験勉強に追われていても何をしていても、自分が自分らしくいられる場所というか、時間というか、そういうのは大切にしていきたくて――」
 ほかにも、朝起きたら窓に触れて温度を感じる日課や、外の景色を見る日課もなくなってしまった。
 今は朝起きたらラヴィに挨拶するのが日課だけど、それだけだと「感覚」的な部分を刺激することはできない。
 それはきっと、音楽にも影響する。だからできる限り、この時間はカメラを持つ癖をつけようと思っていた。
「言うの忘れてたけど、この部屋の指紋認証キーに翠の指紋も追加してあるから」
「え……?」
 何を言われたのかちょっとわからなくて、ツカサのことを見上げる。と、
「これからは、俺がいてもいなくても、いつでも来てくれてかまわない」
「……写真、撮りに来ていいの?」
「かまわない」
「……嬉しい。すごく、嬉しい。ありがとう」
 ツカサの優しさは身に染みるというか、心に染みるというか、ドンピシャリと私の心の的をついてくる。
 自分で思っていたよりも相当嬉しかったみたいで、気づけば目には涙が滲んでいた。
「そんな泣くようなことじゃないだろ? 結婚すれば、ここは翠の家だ」
「そうなんだけど――」
 ツカサはシャツの袖で私の涙を拭うと、そっと抱きしめ優しいキスを目の縁にしてくれた。
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