光のもとでⅡ+

Side 司 18話

 デザートは一口二口で食べられるケーキが三種。
 俺と秋兄が甘いものが苦手ということもあり、いつだって甘さ控えめのコーヒーに合うものが振舞われる。中でも、今日用意されたチーズケーキとチョコレートケーキは俺と秋兄の好物でもあった。そこに桃のコンポートが乗った、華やかさを感じられるムースが追加されているところを見ると、これは女子三人を意識したケーキなのかもしれない。
 翠がそれぞれにプレートを配っている中、俺はひとりコーヒーを淹れていた。
 翠にカモミールティーにするかミントティーにするか訊くと、翠は苦笑を浮かべてハーブティーが入っている缶に手を伸ばす。
「口をさっぱりさせるのにミントティーにしようかな」
 そう言った直後、秋兄が翠に声をかけた。
「翠葉ちゃんはハーブティーでいいの? コーヒー、飲みたくない?」
 その言葉にまさか――と思う。
「正直に言えば、コーヒーが飲みたいです。でも――」
 言葉半ばで秋兄がゴールドの袋をテーブルに載せる。
「デカフェのコーヒー豆。稲荷さんに手配してもらった」
 瞬時に翠の顔が喜びに満ちる。
「だから、みんなと一緒にコーヒーを飲もう?」
「はい! ありがとうございます」
「どういたしまして。じゃ、カレーをごちそうになったお礼に、翠葉ちゃんのコーヒーは俺が淹れさせてもらおうかな?」
 目の前で繰り広げられる会話に、「やられた」と思う。
 昨日から、なんだかんだと秋兄にしてやられてる気分。
 このくらい、俺でもできたはずなのに。
 今回の旅行に浮かれている自覚はあったけど、これはちょっと浮かれすぎで、翠のフォローが全然できてなかったのでは、と思わざるを得ない。
 隣で翠のコーヒーを淹れている秋兄は、機嫌良さげに鼻歌なんか歌ってて、なんだか思い切り蹴飛ばしたい衝動に駆られる。
 そんな自分の感情を露にするようなことは、しないけど……。

 ケーキは皆それぞれの場所で食べることになった。
 翠は夕飯のときに俺が座っていた席に腰を下ろした。俺は当然のように、その正面の席を陣取る。
 もう秋兄に先は越されまい、と意識して。
 それがわかったのか、秋兄はくつくつと笑いながらリビングテーブルへ移動した。
 キッチンテーブルには夕飯のときから座ったままの雅さんと、俺と翠の三人。背後のリビングテーブルには秋兄と唯さんと蔵元さん。簾条と御園生さんは外のウッドデッキでふたりきり。
 どうせならその場所、俺と翠が使いたかった――なんてことはおくびにも出さず、きれいに盛り付けられたデザートを食べていく。
 正面に座る翠も苦しそうな顔をすることなく、雅さんと歓談しながら最後までおいしそうに食べていた。

 ケーキを食べ終えた唯さんが、プレートも下げずに花火を手に取る。
 この人、そんなに花火がしたかったの?
 聞いた話だと、翠と簾条が花火をやりたいと言い出して、花火が用意されたはずなんだけど……。
「唯、さっき稲荷さんからスパッタシート受け取っただろ? それを敷いてからにしろよ」
 秋兄の言葉に翠と雅さんが首を傾げる。そして翠が、「スパッタシートってなんですか?」とたずねると、
「ウッドデッキの上で火を使うとウッドデッキが傷むから、それを防ぐための防火シートってところかな?」
 翠と雅さんはそれがどんなシートなのか、少し興味があるようだった。
 唯さんが外に出たことで、御園生さんがプレートを持ってキッチンにやってくると、リビング組のプレートも集まる。
 流しはカレーのプレートやサラダボウルですでに山積していた。
 その状態が気になって仕方ないのか、翠がスポンジに手を伸ばそうとしたのを見て、咄嗟に腕を掴み制する。
「翠、やらなくていい。稲荷さんを呼ぶ」
「……本当に呼ぶの? お皿を片付けてもらうために?」
 びっくり眼が俺を見上げた。
「こういうことが彼らの仕事だから。それに、翠が素手で中性洗剤使ったらどうなる?」
「……かぶれる」
「なら、そういう行動は控えて」
「はい……」
 翠をキッチンから追い出しつつ、
「外、だいぶ冷えてきてるから上にパーカ――いい、俺が取ってくる」
 このときには、キッチンテーブルにいた三人しか屋内に残っていなかった。
 寝室のウォークインクローゼットにかけてあったパーカを取り、リビングへ戻ろうとしたとき、
「司さん、本当に翠葉さんが大切なのね。でも、口下手が過ぎるのも困りものね」
 雅さんの声が聞こえてきて、俺は咄嗟にクローゼット前で立ち止まる。
 なんの会話……?
「司さんの言ったことに間違いはないわ。ここは真白さんの要望で建てられた別荘だけれど、陽だまり荘同様に、本当ならハウスキーパーの一切を稲荷夫妻が担うの。それが彼らの仕事であり、ここ一番の腕の見せ所なのよ」
 ……俺が言った言葉では翠が理解できなかったということか? だから、雅さんが補足するような言葉を口にしている……?
 翠は今、どんな顔をしているのか――
 気になって一歩踏み出すと、翠は少し困った顔をしていた。そして、
「だとしたら、私は稲荷さんたちの『見せ場』を奪ってしまったことになるんですね……」
 翠は申し訳なさそうに口にする。
「そこまで深く考える必要はないわ。自分たちで料理がしたいならそう言えばいいし、ふたりで過ごす空間に立ち入って欲しくなければそう伝えればいい。ただ、今みたいにこれからみんなで花火をやりましょうっていうときならば、稲荷さんたちにお願いしてしまえばいいの。私たちは甘えられる限り、甘えてしまえばいいのよ」
「そう、なんですね……」
 さっきよりはましな表情に戻ったけど、違う……。あんな顔をさせたくてここへ連れてきたわけじゃない――
 口の中に鉄の味が広がって、唇を強く噛み締めていたことに気づく。
「リィっ! 雅さんっ! 花火やるよっ! 花火っっっ!」
 翠と雅さんは唯さんに促され、窓辺へ向かう。その背を追いかけ背後からパーカを羽織らせると、翠が反射的に振り返ろうとした。それを制し、
「そのまま聞いて。……言葉が足りなくて、悪い……」
 俺と翠は育った環境が違うし、ここが初めて来た場所なら、翠がもっと理解しやすいように話す必要があった。
 それを、自分の感覚で話し進めた結果が雅さんとの会話なら、俺は雅さんに尻拭いをさせたことになる。
「ううん……。私がまだ色々わからないことばかりなだけだから」
 翠はいつだって自分を責める。今回悪いのは俺だったのに。
「だから、そこをわかってもらえるように言葉を補えなくて悪かった」
 抑えないと、語尾が強くなってしまいそうだった。そのくらい、今自分に苛立っている。
「……言葉足らずなのは私も同じだから、今度は理解できないことがあったらちゃんとたずねられるようにする」
「俺も、気をつける……」
「リィっ! リィは何やりたい? 線香花火も線香花火の派手なのもあるよ!」
 まるで話を寸断するかのように、唯さんは翠を強奪していく。
 でも、話自体は終わっていたし、問題はない……――と思う。
 問題は、ない……――
 不意に線香花火に火を点ける翠を目で追う。と、そのすぐ近くで秋兄も花火を楽しんでいた。
 もし秋兄が俺の立場だったら、翠にどう話した……?
 秋兄なら――
「俺が翠葉ちゃんと一緒に過ごしたいから、洗いものは稲荷さんたちに任せちゃおう? ね?」。
 極上の甘い笑顔で口にして、たったその一言で翠は納得しただろう。
 本当に、何につけても秋兄には適わない……。
 余計なことを考えてさらに落ち込むと、眼前に雅さんが割り込んだ。
「はいっ! 司さんも花火をどうぞ。火は私の花火からもらってね」
 そう言うと、雅さんに引っ張られてしゃがみこむことになる。
 俺は手渡された花火をどうすることもなく、ただ手に持っていた。すると、
「ほら、早くしないと終わっちゃうでしょう?」
 雅さんに急かされ、雅さんの花火から点火する。
 無言で花火の先端を見ていると、数秒ごとに色が変わっていく様がきれいだと思えた。その隣で、雅さんの花火は早々に終わってしまう。
 雅さんは終わった花火を手持ち無沙汰でくるくると回しながら、
「司さんが言葉数少ないのは知っているわ。でも、もう少し言葉を補足してあげないと。……って、なんの話かわかる?」
「……わかります。さっきは尻拭いをさせてすみませんでした」
「尻拭いとは思ってないけど……。私たちの過ごしてきた環境は一般的――『普通』とは言いがたいわ。それだけは常に念頭に置いておくべきだと思うの」
 それだけ言うと雅さんは立ち上がり、俺の終わった花火も一緒に回収して、水が張られたバケツのもとへ歩き出した。
「忘れてるわけじゃない……」
 ただ、自分と翠の何がどれだけ違うのかがわからないだけ。自分の普通と翠の普通がどれだけかけ離れているのか、想像できないことがあるだけ。
 わからないものはスルーして話してしまう。その結果があれ……。
 でも、そのたびにあんな顔をさせたいわけでもない。
 なら、どうしたらいい……?
 ……わからないなら話すしかなくて、話しているときに翠がどんな反応を見せるのか――
「見逃さないようにするしかないだろ……」
 小さく零した次の瞬間、酒でも飲んだのかと言いたくなるくらい陽気な唯さんに、あれこれ花火を勧められた。
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