恋愛に無関心の院長が恋に落ちるわけがない
「気にするな、秋の天候は変わりやすい」

「散歩に行くときは、いつもより真っ赤な夕焼けでしたのに」 

「それが台風の前兆だ」
 初めて知った。

「集中豪雨はいつどこで降るかも、降水量も降り続く時間も、予測困難な突発的な大雨だから仕方ない」 

「慰めてくださってありがとうございます」
「川瀬のせいじゃない。なんてことはない」
 
 二頭をしっかりと乾かし、抜け毛の掃除も終わった。

「そろそろ帰ります」
「その思考がどこからくるのか、頭の中を見てみたい」 

 そんなに衝撃的? 院長が驚いたあとに鼻で笑った。
 どうして? なにがおかしいの?

「今、どんな状況の中を帰って来た? あの激しく強い雨が、これから数時間も降り続く。どうやって家まで帰るつもりなんだ」

 ごうごうとても激しくて、バケツをひっくり返したような大雨だった。

「ノイン、大恩、おいで。フェーダーと子猫が待っている」

 二頭が院長のうしろにつくと、ドアノブに手をかける院長が振り返った。

「荷物と着替えを持って来い、今夜は上に泊まれ」
 じっと動かない私に、院長と二頭が焦れることなく、根気強く待っている。
 
「ノインと大恩に風邪を引かせる気か」
 ちょっと口角を上げた、穏やかな低い声が優しく包み込む。

「とんでもないです、よろしくお願いします」
 三階に荷物と着替えを取りに行った。

 足もとに水たまりができそうなほど、院長はずぶ濡れなのに拭きもせずに、じっと待っていてくれる。

 この緊急性で、恥ずかしいとかモラルとか言っている場合じゃない。

 危険を犯してまで帰宅して、大怪我をしたり風邪を引いたりして欠勤なんてことになったら、明日から保科は成り立たなくなる。それはダメ。

 これ以上、院長の仕事を増やしたくない。それに泊まれば茶トラちゃんのお世話ができるし。

 心の中で、何個も何度も泊まる言い訳を考えた。

「お待たせしました」
 院長と二頭のうしろについて、大きな広い背中を仰ぎ見ながら階段を一段、上がった。

 途中で、いきなり院長が立ち止まり、右足だけ二段下ろしてきた。

 急になに? 近い距離に驚いて上体を反らして、身を固くした。

「俺のところに来い」
 どうして?
「早く、来いと言っただろう」

 キッとした眼差しを向けた。
「気が強いな」
 そう言って、階下を見下ろしてくる。
「来ないと困る」
 困る? 院長が? 

「困るんだ、俺の隣に川瀬が来ないと」
 なんか心臓がどきどきする。というか、させられている。

「来いったら、来い」  

 ノインと大恩を怯えさせないためか低く押し殺した声で、私の右腕を掴み、いとも簡単に自分のもとに引き上げた。

 離してったら、なによ急に。
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