不機嫌な茶博士(boy)

少年は荒野に立った…気分になっていた。

この時、翔眞は初めて“小さい部長さん”―――と初日に評して母親に頭を叩(はた)かれた―――の顔をまともに見たような気がした。

 何しろあの日校長室に入ってきた彼女は、翔眞の顔を一目見た次の瞬間、真っ赤になって視線を逸らしたからだ。

 その後、彼女に付いて活動場所である茶室に向かう間も、中に入って他の部員(あとの二人)と挨拶をし、色々と茶室内の説明を聞く間も、全くと言っていいほど視線が合わない。
 薄らと愛想笑いを浮かべながら、顔はこっちを向いているのに、視線が泳いでいる―――というのはある意味失礼な態度と言えなくも無いが、翔眞としては、不躾な視線や媚を含んだ粘着質な視線等よりはよっぽどマシだったから、あまり気にしていなかったのだが。

 その彼女が、正座した膝の上で手を握りしめ、肩を怒らせながらこちらを睨み付けている―――のだろう、たぶん。

 肩までの緩やかなくせ毛をハーフアップにした彼女の顔は丸く、くるりとした大きな瞳のいわゆる童顔でとても年上には見えないし、怒っているのだとしても迫力が無い…どころか何処か微笑ましい。

 だが、顔を赤くしながらも必死な訴えに、翔眞は少し面食らっていた。何故なら、“彼女達も”迷惑がっていると思っていたからだ。


 芳華女学院(ここ)で講師をしている吉岡女史から代理講師の依頼が来た時、

「一番暇なのは翔眞よねぇ?」

 と言ったのは母だ。
 自分が弟子を取ってないのは学生だからだし、そもそも女子校なんておかしいだろう?!とどんなに言ってもダメだった。
 母はそういう人だと、わかってはいたが。

 最終的に、家元である父に「まぁ、何事も経験だと思って…」と苦笑交じりに諭されるに至り、父を師として尊敬している翔眞としては仕方なく、嫌々ながらも出向いたのだが、正直、気が重かった。

 何故なら翔眞は、通っていた国立大学の付属校をやめて、中学から今の男子高に転入するほど、同年代の女子が苦手だったからだ。

 元々、お稽古を通して沢山の女性(本家に来るから年配者ではあったが)と交流する機会が多く、その際、女性には優しく丁寧にと教えられていたのだが、まさかそれが裏目に出るとは、まだ小学生の翔眞には思いもよらなかった。

 翔眞の見てくれがそれ程でもなければ良かったのかも知れないが、小学生にして洗練された所作と、「これからの国際社会には必要よ!」という母の一存で叩き込まれたレディファーストが相まって、女子生徒からはやたらともてはやされ、男子生徒からは敬遠されるという状態になってしまったのだ。

 本来ならば大学までエスカレーターで進む予定だったのに、遊びに行く友達も出来ないような状況に嫌気が差し、外部受験を親に訴える頃には、愛想笑いの1つも出来ない、仏頂面が標準装備の彼が出来上がっていた。

 もちろん、将来の事を考えればこのままでいいとは翔眞自身も思っていない。―――茶道人口の殆どが女性である事もあるが、このままでは結婚すら怪しい(と、母は思っている)。

 吉岡女史の、3人しか部員がいないし皆良いコ達だから、という言葉には疑心暗鬼になっていたものの、それ位ならリハビリになるかもと自分に言い聞かせて稽古に臨んだのだが、結果として、初日はとりあえず無事に済んでいた。

 仏頂面のせいか部長のみならず3人全員から視線を逸らされ、さすがにちょっとヘコんだが、皆、礼儀は正しいし、きちんと受け答えはしてくれたので良しとした。
 何より、吉岡女史のぎっくり腰が落ち着くまで、数ヶ月の辛抱だ。
 校門から部室まで、ジロジロと遠慮無く向けられる視線が気に入らないが、必要ならダッシュすればいい―――と、そう思っていたのだ…先週のお稽古までは。

 翔眞は初日同様、授業終了後すぐ、結局やめてもらえなかった高級車でここまで送ってもらい、顔を上げながらも、焦点を合わせないようにしながら校門を潜って茶室に向かっていたのだが、実はこの時、翔眞の心は少し弾んでいた―――翔眞本人に自覚は無かったが。

 と言うのも、ここの茶室は、学校内だというのにかなり本格的に作られており、道具類も良い感じに年月を重ねた物が揃っていて、初日に説明を受けながら感心していたのだ。
 毎年卒業生が皆でお金を出し合って何らかの物を買うのだと言いながら、桜色の茶碗を愛おしげに見つめていた顔を思い出す。
 何となく暖かな気持ちになり、今日はその茶碗で稽古をしてもいいな…と思いつつ、翔眞は茶室の廊下に面した入り口のドアを開けた。

 だが次の瞬間、上がり框の前に乱雑に置かれた、夥しいローファーの量が目に入り、翔眞はギョッとして目を剥いた。

 ―――先週は、無かったよな、これ。

 何だか嫌な予感が、ぞわぞわと翔眞の背中を這い上がるが、このままここに立っている訳にもいかないだろう。

 意を決して、襖の取っ手に手を掛ける。

 中学でやたらと伸びた身長のせいで目線が高くなり、和室の鴨居を潜る際、つい頭を下げる癖が付いていたのだが、襖を開けて敷居を跨ぎ顔を上げた瞬間、翔眞はその場に固まって動けなくなった。


 爛々と目を輝かせながら、こちらを食い入るように見つめてくる、顔、顔、顔――――――


 食われる―――と、翔眞はマジでその時、そう思った。





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