三十路のサダメ~星屑古書堂と恋~
最終章「ロミオとジュリエット/ウィリアム・シェイクスピア」
シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」を読み終わり、私は涙している事に気付いた。
 なんて哀しい物語なんだろう。
 身分違いの恋――現代ではあまり例が挙がらないがそれでも今も存在しているのだろう。

 はた、とそこで違和感に気付く。
 私はカルテに記入して、今まで郁也の薦められるがままに本を購入していた。
 しかしこれはどういう選択なのだろう?
 あのデートの後にこんな悲劇の恋の小説をおすすめしてくるって事は私との恋に前向きではない証拠じゃないか?
 考えれば考える程深みにはまりそうだった。

 
 次の日出社すると課長がニヤニヤとこちらを見てるのがわかった。
 一体なんだと言うんだ。
 無視を決め込もうとすると、課長が突然大声を上げた。
「早坂ァ見たぞ、この前お前男とデートしてたな!とうとう独身卒業か?」
 こういうのもセクハラと言っていいのだろうか。
 私は苛立ちを隠さず課長を睨み付けた。
「放っておいてください!」
「おお、こわこわ」
 課長は大げさに肩をすくめてみせる。
 正直今はその話題に触れられたくない。

 この前のデートでも郁也は恋に前向きな姿勢は見せなかった。
 この本の選択もそう。
 まるで――私を拒否してるみたいだ。
 だけどそれってあんまりだ。
 ここまで近付いたのに、それを全部無かったことになんて出来るわけがない。
 私は問い詰めるべく今日も星屑古書堂に寄って帰ると決めた。



 路地裏で私は呆然と立ち尽くしていた。
 いつも灯りが灯っているはずの星屑古書堂はシャッターが閉まり、「突然ですが閉店します」と張り紙が張ってあった。
 そんな、そんな馬鹿な。
 私は夢を見ているのだろうか?
 慌ててLINEの連絡先から郁也を探すが、郁也はLINEを消したらしく「メンバーがいません」となっていた。
 
 終わった――

 なんてあっけなかったんだろう。
 私の恋はこんな情けない結末を迎えてしまうのか。
 ずるずるとその場にへたり込みシャッターに身を寄せる。
 全く動く気になれなかった。
 ふっと自分の上に影が振ってくるのを感じ、見上げるとホームレス風のおじさんが二人、ニタニタと嫌な笑いを浮かべながら見下ろしていた。
「ねえちゃん、こんな所で何してんだい」
「おじさん達と遊ぶかい?」
 ああ、今日は人生最悪の日だ。
 そう思った次の瞬間にはおじさんに腕を強く掴まれていた。
「いやっ!離して!」
「おいおい暴れるなよ、せっかくだし楽しもうぜぇ」
 私はあっと言う間に男二人に羽交い絞めにされ、いよいよ成す術もなくなった。
 恐怖で体の震えが止まらない。
 涙がボロボロこぼれてくる。
 助けて、誰か助けて――


 ふっとその瞬間体が軽くなった。


 私を拘束していたおじさんの体が宙に浮き、激しい音と共に近くにあったゴミ箱に衝突した。
 何が起きたのかわからず目を白黒させていると、目の前に青年が立っている事に気付いた。


 ―――郁也


 郁也がおじさんを投げ飛ばしたのだ。

「美弥子さん!無事ですか!」
「う、うん、郁也さん、あの、わたし、」
「とりあえず走って!」
 郁也は私の手を取ると颯爽と駆け出した。
 私は引きずられるように走り出す。

 やっとの事で路地裏を抜けると息も絶え絶えだった。
 

「い、いく、やさ、んなんで、なんで閉店なんか」
「…怖くなったんです。」
 郁也の表情は見えない。
 私は呼吸を整えると恐る恐る郁也の顔を覗き込む。
 月明かりに照らされた郁也の美しい横顔は苦しそうに歪められていた。
「僕は恋愛をするのが怖い。人を愛するのが怖いんです。失ってしまった時の痛みを――僕は恐れているんです。」
 そこで郁也は私に向き直った。
「あなたといると調子が狂うんです。恋などしないと決めているのに、気付けばあなたの言葉の一つ一つに翻弄されている。美弥子さん…僕はあなたが怖いんです。」
「あなたは…愛する人を失ったことがあるのね?郁也さん。」
 郁也はしばらく考えている様子だったが、やがて観念したように頷いた。
「三年前に妻が他界しました。…他殺でした。通り魔による犯行で、妻はその場に偶然居合わせただけでした。」
 淡々と告げる声の調子に似合わず内容は重かった。
「いっそロミオとジュリエットのように、僕も後を追う事が出来たらよかったんですが僕にはそんな勇気は…」
「そんな勇気なくていい!」
 私は思わず声を張り上げていた。
「あなたが今生きてくれている事に私は感謝するわ。だってそうでしょう?あなたが生きていてくれなかったら私多分こんなに本を読まなかった。あなたの一言一言に心が温かくなる事もなかった。…私に恋しろなんて言わない。それなら一生友達のままでもいい。でもお願い。」
 私は息が詰まる思いだった。

「生きて」
 

 それは紛れもなく愛の告白だった。
 見返りなど求めない、まっさらな愛。
 こんな気持ちを他人に抱いたのは初めてだった。
 郁也は顔を片手で覆うと力強く頷いた。
 泣いているのかもしれないが、私はそれを見ないようにした。
 きっと、見られたくないだろうから。





 星屑古書堂が再オープンしたのはそれからしばらくしてからだった。
 
 私は、会社を辞めた。
 そして今では星屑古書堂の店員として働いている。
 本の知識はまだまだだけど愛する郁也と少しずつこの店を作って行けたら、と思う。
 控えめに店の入口が開く。
 私は元気よく声を張り上げた。


「いらっしゃいませ。星屑古書堂へようこそ!」
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