片翼の蝶


うん、と一つ頷いた珀の言葉を聞いて、
途端に嬉しくなる。


私の物語が、通用する。


小説家として名を馳せる珀に
面白いと言わせた。


その事実が嬉しくて、
録音しておきたいくらいだ。


もしも私に描写表現が備わったら、
珀と肩を並べるくらいの書き手になれるだろうか、


なんて淡い期待を抱いた。


昔からの悪い癖だ。


安易に妄想しては大きな夢を見てしまう。


その夢が儚く散ってしまう辛さは
理解しているのにやめられない。


今回もまた、そうだった。


もしかしたら、もしかしたら私にも
そんな才能があるんじゃないかって。


珀は私を見て、首を傾げた。


物思いにふけっていたのに気付いて、
慌てて眸をノートに映す。


ノートの端には書き上げた際に出来た
鉛筆の跡がついて真っ黒になっていた。


〈この物語の題は何だ?〉


「タイトル、は……なんだろう」


〈考えていないのか?〉


私はタイトルをつけたりはしない。


しないというよりは苦手なのだ。


つけようとしてもどうにもしっくりこない。


物語の質を損ねてしまってはいけないので、
この物語もタイトルは未設定のままだった。


珀はうーんと唸って腕を組んだ。


そして眸を閉じる。


下りたまつ毛をじっと見ていると、
しばらくして眸が開かれた。


その瞬間珀と目が合ってしまって
慌てて目を逸らす。


珀はにやりと笑った。


〈誰よりも先に君を、なんてどうだ?〉


「誰よりも先に、君を……」


私は呟いて、それから鉛筆を手に取った。


そして呟いた言葉をノートへと書き写していく。


書いてみると自分の小説が真の完成を遂げた気がした。


タイトルがついて初めて小説と呼べる代物になる。


珀がつけたタイトルだけれど、
何故かこの物語にはピッタリな気がして、
私は嬉しくなった。


誰かに読んでもらいたい。


何故だかそんな感情が湧いた。


今すぐこれを、誰かの手に託したい。


読んでもらって、感想を聞きたい。


珀がいいと言ったんだ。


きっとこれを読んでくれる誰かは
いいと言ってくれるだろう。


そう思うとワクワクしてきた。


「私、こんな気持ちは初めて」


〈こんなって、どんな?〉


「小説を誰かに読んでもらいたいと思ったことなんてないもの」


〈俺が読んだじゃん〉


「そうね。あなたに読んでもらえて、良かった」


私が言うと、珀は唇に大きく弧を描いた。


そしてノートに視線を落とす。


唇が開いて、空気が吸い込まれた。


〈お前は、いい書き手になる〉


お礼を言いたかったけれど、
私は何も言わなかった。


ただ自分の小説を眺めて、
それから珀の最期の小説、「片翼の蝶」を眺めた。


時刻はもう、とっくに朝を迎えていた。






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