彼女の距離感に困る

それは今から1か月前のこと。



──別に、世間がチョコレート菓子に狂騒していようが、俺にとっては日常と変わらなかった。



まだまだスーツの上にコートが手放せない季節。

人もまばらな早朝から電車で通勤し、就業時間の数時間前にオフィスに着き作業を始める。



部下を持つようになり、もう数年が経つが、まだまだ気を抜く暇はない。

ましてや恋愛沙汰、2月の菓子行事になど現を抜かし、浮かれている暇などない。

一切欲しいとも思わない、なにがそんなにも楽しいのか、なにをそんなに求めているのか。

菓子そのものか、プライドの高さ故か、自分を必要として貰える証明としてか、それとも愛情か。

自分とは遠いところにある喧騒、まるで別空間だ、それでいい。



それで、いい。

俺には関係のない事だと思っていた。



「あの……」



就業時間の迫る時間、社員の増えたオフィスで女性社員が、恐る恐る声を掛けてくる。

しかし今は画面から目を離せない。



「マネージャーもよろしければ、チョコレートクッキーなのですが……あの、甘さは控えてありますので……よろしければ──」

「皆で食っておけ。気遣いはいらん」



その手にあるだろう菓子をちらりとも見ず、画面のみに視線を向けたまま答える。

他の社員同士でも贈りあっているのだから、きっと気遣ってこちらにも持って来たのだろう。

そのような気遣いは他のやつにしてやるといい。



「あ……はい、お忙しい中申し訳ございません」



パタパタと足音を立てて離れていく女性社員の気配に、少し言い方に問題があっただろうか?と思い返す。



あまり、こういった行事ごとには参加しない。

参加したところで、この仏頂面が共にいる空間が楽しいものか。

こそこそと話し声とともに視線を感じる、それが答えだろう。



そう、思っていたが。



「頂いてくれないの?」



聞き覚えのある、女性にしてはハスキーな声。

小さな箱が机に置かれ、そのままその手も机に置かれ、こちらの顔を覗き込まれる。

線の細いふわふわとした少し長い髪、流した前髪の奥から覗く、真っ直ぐな瞳、キチッと身にまとったスーツ姿。



また、君か。



「いつまで勘違いしてるつもりよ、この鈍感」



覗き込まれた目が、否応なしに絡まる。

向ける表情は目力があり、普段周りに振りまいてる笑顔と自分への態度が全く違う。

絡まって離れられない、この女は苦手だ。



「邪魔だ、なんのことだ」

「行事に参加できなくて寂しいくせに。有難く貰っておけば良いものを、言い訳をつけてズルズル逃げて」

「とんだ戯れ言を言う奴だな。業務に戻れ」

「はいはぁい。この件はまた後でね」



机に手をついていた体勢から起き上がり、ヒラヒラと手を振ってからあの喧騒の中へと紛れていった。

あの女は、高校時代のクラスメイトの一人だった奴だ。

あの女がなにを考えているのか、今も昔も皆目見当もつかない。

しかし度々、話しかけに来る。





……あの、こちらに踏み入ってくる距離感が、心臓に悪い。

それに毎度少し、集中を欠かされている。

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