しせんをわかつ
『…今日は、お前、琴子さんと一緒に帰れる日だよな?』
『あぁ、大丈夫。』
『わかった。じゃあ…またな。』
そして、池の端の道で、凌治と別れた。
池を挟んで向こう側のベンチで、まだ、彼女は座っていた。
「女優」ときいて、納得した。
昨日見た情景は、まるで、舞台のワンシーンのようだった。
月明かりの下で、ナイフと、彼女の瞳が、印象的で、気圧されたのは、ナイフを突き立てられた男だけでなく、偶然通り掛かった、僕も、だった。
凌治には、言わなかった事がある。
あの後、男から離れた彼女は、真っ直ぐ、僕の方に歩いて来たのだ。
動けずに、僕は、歩いてくる彼女の瞳を、ただ見つめていたのだった。
そして、それは、彼女も同じだった。
気がつくと、彼女は、僕のすぐ目の前にいた。
真っ直ぐに、僕の瞳を見つめたままで。
『見てるのはあまり趣味が良くないね。』
そう言った彼女の唇の、ゆるやかな動きを、ただ、見つめる。
すると、それが、ぴくりと上がって、笑った。
そして彼女は、僕の腕を掴んで、ふわりと、僕の身体に、倒れ込んで来たのだった。
『え、ちょ、ちょっと…』
一体、何が起きたんだ。
焦る僕に、腕の中の彼女は言う。
『黙って。お願い。アイツがいなくなるまで、このまま動かないで。』
そして、僕の腰に腕をまわして、しがみついた。
…何言ってるんだ、と思いながら、相変わらず、僕は固まっていた。
冷たい風が、僕達の両側を通り抜けるたび、ひゅうひゅうと、音をたてた。
彼女に捕まった僕は、だんだんと、この時間が永遠に続くように感じた。
僕の身体に埋もれる、彼女の頭は、思ったより小さくて、頼りなくて……
ふと、泣いているのように、思った。
僕は、そっと、彼女の頭に、右手を置いた。
顔をあげる彼女。
大きな瞳。
僕を見つめる………
『…もう行っちゃったみたいね。』
『え?』
訳がわからない僕から、とんと、彼女は離れた。