月歌~GEKKA
公園のトイレだからと心配していたけれど、きちんと整備されていて清潔でホッとした。
お手洗いから出ると、女の子の泣き声が聞こえて来た。
私がキョロキョロと辺りを見回すと、どうやら迷子になったらしい兄妹が桜をライトアップしている照明の下に立っている。
私は人込みをかき分けて二人の前に行くと
「どうしたの?迷子になったの?」
と、二人の目線にしゃがみ込んで話しかけた。
「ほら!お前が泣くから迷子だと思われただろう!」
お兄ちゃんがツインテールの妹の髪の毛を引っ張る。
すると女の子が益々泣き出した。
「ダメだよ、髪の毛を引っ張ったら。迷子じゃないなら、お父さんかお母さんは?」
私が当たりを見回しても、この兄妹の保護者らしき人物が見当たらない。
男の子に聞くと、多分、不安なのを我慢してたんだろう。
目を潤ませて
「わかんない…。一緒に居たのに…、見失って…」
そう呟いた。
(う~ん…それを迷子と言うんだけどな…)
私は苦笑いをして
「じゃあ、あそこに行こうか」
と、「本部」と書かれたテントを指さした。
すると泣いていた女の子が「お母さんが…知らない人に着いて行ったら…ダメって…」
そう言いながら再び泣き出す。
(素晴らしい教育だけど…どうしよう……)
泣いてる子供に困っていると
「中々戻らないから見に来たら…何してんだよ…」
背後から森野さんの声が聞こえた。
驚いて振り向くと
「何、泣かせてんの?お前、それでも子供用品売り場の店員か?」
呆れた顔をする森野さんが、突然、男の子の頭を撫でて
「頑張ってたな…兄ちゃんだから、妹を守ってたんだよな」
そう言って、男の子を抱き上げた。
すると男の子は目からたくさんの涙を流して
「お兄ちゃんは妹を守んなくちゃダメなんだぞ!」
って言いながら、必死に涙をシャツの袖で拭っている。
「そうだよな~。えっと…名前は?」
男の子に話した後、涙が止まって抱き上げられているお兄ちゃんを見ている女の子に森野さんが聞くと
「まい」
そう女の子が答える。
「まいちゃんか~。まいちゃんのお兄ちゃんは、カッコイイな」
森野さんが、それはもう…子供にしか見せない満面の笑みでまいちゃんに言ったのだ。
まいちゃんは頬を真っ赤にして
「うん!まいのお兄ちゃん、世界で一番カッコイイの!」
そう答えた。
すると涙を流していたお兄ちゃんが
「まいの馬鹿!そんな恥ずかしい事を人前で言うな!」
そう叫ぶ。
森野さんは抱き上げていたお兄ちゃんを降ろすと
「恥ずかしくないよ。妹にカッコイイって言われるお兄ちゃんは、本当にカッコイイんだから」
そう言いながら、二人の頭を撫でている。
(くぅ~、羨ましい!)
森野さんの子供にだけ向ける優しい笑顔。
私は大好きだけど…、私に向けられる事は絶対に無い。
一瞬落ち込んだ私の耳に
「迷子の迷子の子猫さん~♪あなたのお家は何処ですか♪」
と歌う森野さんの声が聞こえた。
「え!」
驚いて森野さんの顔を見ると、両手を兄妹と繋いで三人で歌を唄いながら歩き出した。
「お兄ちゃん、次はお星さまの歌を唄って~♪」
何も知らない女の子が、森野さんを見上げてリクエストしている。
「お星さまの歌?」
森野さんが首を傾げると
「きぃ~らきぃ~ら光るぅ~夜空の星よ~♪」
と、兄妹が歌い出す。
「ああ!それか…」
森野さんがそう叫んで、流暢な英語で
「thinker thinker little star」
と歌い出すと
「お兄ちゃん、何、その歌~」
「変な言葉~」
って言いながら笑っている。
( し…知らないって恐ろしい…)
少し離れた場所でやり取りを聞いていると、森野さんは公園の迷子預り所に二人を連れて行く。
しばらく話しをした後、二人に手を振って帰ろうとすると
「ヤダヤダ!まだ、一緒にお歌唄うの!」
森野さんに抱き付いて駄々をこね始めた。
折角泣き止んだのに、又泣き出しそうな女の子に
「じゃあ、お母さん達が来るまでね」
そう言って、森野さんが子供のリクエストに応えて歌を唄っている。
その声は本当に綺麗で、迷子センターの人達も聞き入っていた。
恐らく、迷子の呼び出しの時に森野さんの歌声が混じっていたのだろう。
気が付いたら迷子センターに人だかりが出来ていた。
迷子センターに預けられていた子供12人にリクエストされ、森野さんは戦隊シリーズの歌からアニメ、童謡をひとしきり歌わされている。
私はずっと聴きたかった「カケル」さんの生歌を聴いている。
その声は大人びた声になってはいたけれど、紛れもない「カケル」さんの声だった。
透き通った透明感のある声に、月の光のように優しく人を包み込むような歌声。
それはまるで…月の歌声のように人の心に降り注ぐ。
ふとそんな風に考えていた時、人込みをかきわけて兄妹のお母さんが現れた。
「ママ~」
笑顔で抱き付くまいちゃんに、お母さんが安心した笑顔を浮かべる。
どうやら迷子センターの方に事情を聞いたらしく、兄妹のお母さんは森野さんに何度も何度も頭を下げていた。
「歌の上手いお兄ちゃん、バイバイ~」
二人が手を振って帰る姿を見送ると
「翔太!」
森野さんを呼ぶ声が聞こえる。
息を切らせているその姿に、かなり走って来たのが分かる。
「お前、声が出るようになったのか?」
息を切らせながら叫ぶその顔に見覚えがあった。
「あ…」
思うわず呟いて、慌てて口を塞ぐ。
間違いない。
カケルさんの彼女だった鈴原清香さんが「お兄ちゃん」と呼んでいた人だ。
顔はすっかり年齢を感じさせている顔になってはいるけど、優しそうな雰囲気が変わっていない。
思わず呟いた私の顔を見て
「あれ?もしかして…あすみちゃん?」
向こうも驚いた顔で私を見た。
「どうして?」
びっくりして思わず呟いた私に、鈴原さんはあの時を彷彿とさせる笑顔を浮かべて
「やっぱり!あまり変わってないね」
そう言った。
そして「うんうん」って頷き
「翔太の声、あすみちゃんが戻してくれたんだ。ありがとう」
と言って満面の笑顔を浮かべる。
相変わらず崩壊力の高いイケメン笑顔にぽ~っとしていると
「おい!こんな所でナンパしてっと、奥さんにチクるぞ」
森野さんが眉間に皺寄せて言い出した。
すると鈴原さんは吹き出して
「変わらないな~、お前のヤキモチ妬きな所。こいつが相手だと、大変だよ」
こっそりと囁いた鈴原さんに、森野さんが
「こいつとはそんなんじゃねぇよ」
そう言いながら鈴原さんを私から引き離す。
「はいはい。で、本題に移りたいんだけど?」
鈴原さんは真剣な顔をして森野さんを見つめた。
「亮にお前を預けて、俺達はずっとお前の声が返って来るのを待ってた。
帰って来い、翔太」
鈴原さんの言葉に、森野さんは辛そうに
「音と一緒に歌ってねぇからわかんねえよ。それに…俺は歌手になる気は無い」
そう言い捨てて歩き出した。
「森野さん!」
慌てて叫ぶ私に一瞬振り向くと
「さっさと来い」
と言い残して歩いて行ってしまう。
私が困った笑顔を浮かべる鈴原さんを見ると
『早く行って』
って、口パクで言われる。
私が頭を下げて森野さんを追い掛けると、森野さんは少し歩いた所で待っていた。
「遅ぇよ」
ポツリと言うと少し前を歩き出す。
私が小走りで隣に並ぶと
「ごめん」
そうポツリと呟いた。
「え?」
驚いて森野さんを見ると
「お前に嘘を吐いてた」
そう呟く。
「ああ…、知ってましたよ。でも、知られたくないんだろうなって、黙ってました」
私は空と桜を見上げて答える。
その瞬間、森野さんに腕を掴まれた。
驚いて森野さんを見ると
「お前は俺とカケル…どっちが大事なんだ?」
突然聞かれる。
「そんなの…」
言い掛けて思わず口を噤む。
もし…ここで森野さんの名前を言ったらどうなるのだろう?
森野さんは、私にどの答えを求めているのだろう?
私の言葉を黙って待つ森野さんに、私は小さく微笑む。
「選べませんよ。でも…今日、久し振りに歌を聴けて幸せでした。」
私はそう答えると
「森野さん、あなたは歌うべきだと思います」
そう続けた。
「それは…俺があの店から居なくなるって事だとしても?」
真剣に聞かれて、私は深呼吸する。
本音は…傍に居て欲しい。
こうしていつでも話せる位置に居て欲しいって思ってる。
でも…今日、森野さんの歌を久し振りに聴いて、やっぱり森野さんの居場所はスポットライトの下だと確信した。
それを、私の我儘でここに留めていることは出来ない。
幼い頃からずっとカケルさんの歌声に救われていた私が、森野さんが好きだという個人的感情で森野さんの翼をもいで良いことにはならない。
「私ね…カケルさんの歌に本当に救われたんです。
両親の離婚、転居、見知らぬ土地での生活、母親の再婚。色々あったんです。
でもね、カケルさんの歌声が私の心を救ってくれたんです。
その私が、森野さんに歌うなと言えないです」
森野さんを真っ直ぐ見つめて答えた。
すると森野さんは小さく微笑むと
「そっか…わかった。ありがとう」
とだけ言って、又歩き出した。
私は森野さんの少し後ろを歩きながら、森野さんの背中を見つめて居た。
入社してからずっと追いかけていた背中。
好きで好きで…大好きで…
でも、私には森野さんの才能を摘み取ることは出来ない。
例えそれが、もう二度と隣を歩く事が出来なくなるとしても…。
季節は春。
桜が舞い散る中、美しい夜桜と人込みの中を歩く森野さんの背中を、私は焼き付けるようにただ黙って見つめていた。
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