タイム・トラベル
夕方、リチャードは私をホテルまで送っていこうとしてふと声を上げた。

「そういえば昼、あんまり食べてなかったけど。お腹空いてないの?」

「あ、うん……」

 私は咄嗟に言葉を濁したから、リチャードは余計に気になってしまったのだろう。

「念のために訊くけど、昨日の夜は何を食べた?」

 ちょっと迷ったけど、私は嘘を言うわけにもいかずにぼそりと言う。

「コッツウォルズで買ったチョコレート」

「一昨日の夜は?」

「コンビニみたいなところで買ったドーナツ」

「……じゃあ君、最初の日の昼以外まともなもの食べてないんじゃん」

 私は慌てて顔を上げる。

「いや、ただお腹が空かなくて。胃腸が悪いとかダイエットしてるとかそういうわけじゃないんだ」

 それにサンドイッチだって食べたし、朝も一応食べてるし……と言いわけじみた言葉を重ねたけど、リチャードはきっぱりと首を横に振る。

「いけません。今日の夜こそはしっかりしたものを食べてもらいます」

「しっかり……」

「はい、行くよ」

 有無を言わさず、リチャードはバス停に向かって歩き出す。

 私がバスの運転手さんに乗車券を見せると、彼はにこっと笑う。

『笑って』

「え?」

 涙はちゃんと拭ったはずと思いながら頬を触るけど、運転手さんはまるで私の心の内を見通したように言った。

『ここの人たちが笑うことは少ないけど。やって来た君たちに笑ってもらうために、バスを走らせたり案内したりしてる人がいっぱいいるんだよ』

 私はぎこちなく頬を動かす。ちゃんと笑えているかどうかわからなかったけど、運転手さんは満足そうに首を傾けた。

『よい旅を』

『……ありがとう』

 それからバスに乗って、私たちは中心街から少し離れたところで降りた。

「漢字がある。ここ、チャイナタウン?」

「そ。この辺なら君が食べやすいものもあるでしょ」

 少し独特の湯気の香りをかぐと、凍ったようだった胃腸も動いたような気がした。

 表で餃子を作っている店を選んで、私は水餃子を注文する。

「あ……」

 温かいスープと馴染みのある餃子を口にした途端、私の体に熱が戻った。

 かきこむように大急ぎでスープを飲む。おいしい。腹の底からそう思った。

「お米もどうぞ」

「ありがとう」

 リチャードが取り分けてくれたチャーハンも食べた。ぱらっとしていてこれもおいしかった。

 心地よい満腹感が訪れた時、リチャードの携帯が鳴った。

『Hello?』

 私にごめんと言って席を立つ。それからいくらもしない内に、リチャードは戻って来た。

「ごめん、智子さん。どうしても明日会社に行かなきゃいけなくなった」

「そっか」

 私は頷いて少し笑う。

「大丈夫。元々一人旅行のつもりだったんだし、準備はしてあるよ」

「ほんとごめんね。明日一日で終わらせて、明後日には戻るから」

「いいよ。がんばってね」

 リチャードは心配そうに私を覗き込んで言う。

「僕が見てなくてもちゃんとご飯食べなよ。危ないところには近付かないこと。何かあったら携帯に連絡して」

「うん」

 こくこくと頷いて、私は思う。

 明日はこの旅で一番の目的で、一番気になっていた所に行く。

――僕がイングランドで一番好きなところだ。

 遺跡ストーンヘンジに、旅立つ。
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