わたしの愛した知らないあなた 〜You don’t know me,but I know you〜
「笑い事でもないですよ?」そう言いながらも榛瑠も笑った。「レシピもあるし、作ることもできるのに、食べたいと思わないっていうね。目の前にあるものがなんであるかはわかるのに、なぜかはわからない、というかね。愚痴りたいわけではないのですが、結構気持ち悪くて」

そうだ、この人にとってはアイデンティティに関する事を失ってしまって再構築しなくちゃいけないのに、笑い事じゃないよね。

「人に……、わたしに作るのが好きだったの。自分ではあまり食べなかったわ」

「そうか、やっぱりね。……一花さん、僕を避けてますよね」

唐突な問いに一花はあわてた。

「え、いや、そんなことは」あるけど!えっと……「どう接していいかわからなくて、あの、嫌な思いさせてたらごめんなさい」

言いながら、違和感だらけだと思う。相手は榛瑠のはずなのに。

「それを言うのはむしろ僕のほうです。僕も正直、一花さんにどう接したらいいかわからない」

僕、と言うのが慣れない。そして、さん付けで呼ばれるのがもっと慣れない。

「あの、わたしは大丈夫だから、えっと、とりあえず、困ったことがあったら言ってください。わたしにわかることもあると思うし、あ、わたしはともかく、うちのスタッフは優秀だから。嶋さんとか。きっと力になってくれるので。遠慮しないでください」

ありがとうございます、と榛瑠が笑顔で言った。そして、夕食の誘いを丁寧に辞退して帰って行った。

帰り際に一花に言った。

「そのうちスイーツを作ってみます。自分の気持ちの動きを試してみたい。そのときは食べてくれますか?」

「はい、喜んで頂きます」

なんだか一花はとても嬉しかった。
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