アイツが仕掛ける危険な罠=それは、蜜色の誘惑。【完】
彼の言葉が深く心に突き刺さり、一瞬、呼吸が止まる。すると近付いてきた八神常務が揺れる眼差しでジッと私を見つめ、両手でフワリと頬を包んだ。
「やっと再会できて、こうやってお前に触れることができた……長くて辛い一年だったよ」
まさかの寂しかった宣言に驚き、見開いた目には彼の顔が映っていたはずなのに、何も見えていなかった。そして私が我に返ったのは、柔らかく温かいモノが唇に触れた瞬間――
あっ……
「ずっと……好きだったんだぞ」
甘く囁く声が呆然として立ちすくむ私の鼓膜を揺らし、その振動が痺れとなって全身に広がっていく……
これは本当に現実なんだろうか? 私、夢を見ているんじゃないの?
ずっと待ち望んでいた言葉だったのに、臆病な心がブレーキを掛けようとする。でも、どうしても、この蜜色の誘惑に抗うことはできなかった。
「信じて……いいの?」
必死の思いで声を絞り出すと、思ってもみなかった答えが返ってくる。
「お前のお母さんは信じてくれてたぞ」
「えっ? 母さん?」
八神常務は、私の本社異動が決まった直後、つまり、辞令が出る前に母親に電話をし、事情を説明していた。
「……ってことは、母さんは私が異動の話しをする前から本社行きを知っていた……?」
「そうだ」
あぁっ! だから異動の話しをしても驚かなかったんだ。
「お母さんは、自分の命より大切な娘を俺に託す。どうか幸せにしてやってくれ。そう言って電話の向こうで泣いてたよ」
なっ、母さん、八神常務にそんなこと言ったの?