可愛いなんて不名誉です。~ちょっとだけど私の方が年上です!~
第六話 恋って下心って書く
 仕事の山を越えたとき、美夜子は家族のところに走って帰るのが常だった。
 その年になってと友達には笑われるが、そうはいっても真っ先に報告したいのが家族なのだから仕方ない。だいたい金曜日から快速電車に乗って実家に帰るか、その時間がなければ独身貴族である下の兄とお寿司を食べに行く。
 しかし大山だった決算の仕事を終えたというのに、美夜子は実家に帰ることもお寿司を食べることもなかった。金曜日の夜、涼に創作和食のお店に誘われてしまったからだった。
 創作和食。正式な和食が何たるかを知らない美夜子にとって、その変化球はいかなるものか想像がつかない。あと金曜日の夜でよかったかもしれない。土曜日だったらどんな私服で行けばいいのか小一時間悩んだところだった。
「かんぱーい!」
 とはいえ峠を越えたのは何よりめでたい。美夜子と涼は仕事帰りに駅前で待ち合わせてお店に向かうと、無事水で乾杯を果たした。
 ちなみに美夜子はお酒を飲まない。理由としては、家族が誰も飲まないから。事務所の飲み会ではビールで乾杯のふりはするが、慣れないので結局一滴も飲めない。
「よかったんですか? 一葉さんは飲んでもらえば」
「俺も今日はやめておきます」
 例の綺麗な切れ長の目で、涼は美夜子を見やる。
「後日、酒の勢いと言われたくない話をしますので」
 ……それって、どういう? 美夜子はテーブルの足を手でこすりつつ、料理が運ばれてくるのを待った。
 創作和食はその名に違わず、目に新しいものが次々と出てきた。食べていいのか迷う菊の飾り、オイスターソースの香るヒレステーキ。和食の定義をかすめたり完全アウトだったりしながら、おいしいので問題なしと美夜子はぱくぱく食べる。
「一葉さんの革靴には何か入ってるんですか? いつも独特の音がするんですけど」
「みなさん運動靴なので革靴の音は目立つんでしょう。俺は日野さんの足音の方が独特だと思いますが」
「ああ、私昔から歩き方が踊ってるみたいって言われるんですよねー」
 涼が「その話」を切り出すまでは、晩ごはんが豪華なだけで他愛ない雰囲気だった。そういう雰囲気でいなければ、美夜子が走って逃げそうな空気を醸し出していたからかもしれない。
「美夜子さんは俺のこと、怖がってますよね。俺がエッチ下手だったからですか?」
 いきなり大波の話題を振られて、美夜子は思わず首をぶんぶんと横に振る。
「いやその! こういう仕様なんです、私は! 一葉さんだってわかったでしょう。私って」
 初めてだったもので、と小声で付け加えると、涼は憮然と告げる。
「俺もです」
「え?」
「美夜子さんが初めてで」
 美夜子はきょとんとする。とてもそうは思えなかった。涼のキスも、体をとろかせていった手も、その内側に入ってきたときにかけられた掠れた声も、なんとも心地よくて……この人慣れてるんだなぁとちょっと寂しいくらいだった。
「痛かったでしょう。俺ががっつくから」
 ただいつも職場で見る冷静な涼とは違って、美夜子さん、もっとと繰り返し求めてくるものだから、やっぱり男の人だったんだとどぎまぎしていたわけで。断じて彼が傷ついたように目を逸らす理由はない。
「一葉さ……ううん。涼さん!」
 今夜だけなら許されるかもと思って、あの夜にだけこっそり呼んだ名前で、美夜子は声を上げる。
 涼は頬を緩める。美夜子は自分の勇気のなさを悔やむ。あのときだってそうやって笑ってくれた。美夜子がなかなか言葉にして伝えなかったために、あらぬ誤解までさせてしまった。
「そんなことないです! 私たちが相性悪いって言うなら……今夜、空いてます?」
 なんて下心だらけの言葉。年下の男の子をだましているような気もする。
 でもやだ。彼が離れてくなんてやだ。それくらいならはしたないくらい誘ってみせる。
 ちょっとふっきれた美夜子に、涼は一瞬息を詰めたようで、ごくっと息を飲んだ。
「……もちろん、空けてました」
 彼も同じ下心があったらしいと気づいて、美夜子はどくどくと心臓が早鐘を打ち始めていた。
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