可愛いなんて不名誉です。~ちょっとだけど私の方が年上です!~
第九話 人から見たらささいなことでしょうが
 翌日の昼過ぎ、美夜子は実家でようやく目を覚ました。
 昨日は体が真夏の氷のようにぐずぐずに溶けるかと思った。実際、もうだめと何度も言った。彼との二歳の年の差とはかくも大きなものだったのかと薄れゆく意識の中で思った。
 とはいえそういうのも幸せな一晩だった。涼に「しかるべきときを待ってますよ」と抱きしめてもらえたときは何だか泣けてきた。
 いっそもう一足飛びに進んじゃって、彼の未来を縛っちゃえばいいじゃない。離れるなんてやだって思ったんでしょう? そんなよこしまな思いがよぎったのも一度や二度じゃない。
 けれど美夜子はこのまま泊まっていってくださいと勧める涼から無理やりに体を離して、法外なタクシー料金を払ってまで早朝に実家に帰った。
 両親は早朝から長男家族とピクニックに出かけて、美夜子は一人小学生の頃から使っている自分の布団にもぐりこんで眠った。
 夢の中で涼に会った。最近夢に見るのは彼のことばかりだが、今度の夢はいつもと違った。
 美夜子は小学生くらいの子どもに戻って、しゃくりあげて泣いていた。涼は彼女を抱き上げて、可愛い子、寂しかったのと頬を寄せた。今までのように叱られるばかりの夢に比べればほのぼのしたものだったのに、美夜子は悲鳴のように叫んでいた。
「可愛いなんて不名誉です!」
 自分の声で覚醒して、布団から起き上がる。眉を寄せて口をへの字にして、泣く一歩直前の顔をしている自分に気づいていた。
 しばらくうつむいて動かなかった美夜子に、ノックの音が聞こえてくる。
「みーこ、入っていい?」
 まだへの字の口のままいいよと答えると、上の兄の洸也(こうや)が部屋に入ってきた。
洸兄(こうにい)、ピクニックに行ったんじゃなかったの?」
「坊が、「みっちゃん泣きそうなかお。かわいそう」って心配しててな。俺だけ残った」
 まだ三歳の甥にまで心配をされるとは情けない。美夜子がしょんぼりすると、洸也はさらっと問いかける。
「何かあったか?」
 一見軽やかで明るいのに、その実すごく心配性で、家族思い。美夜子の家族はみんなそうだった。 
「私、大人なのに。もっとしっかりしたい」
「無事就職しただろ。一人暮らしもしてるし。しっかりしてないか?」
「メンタリティに脆弱性があります」
 心臓を上から手で押さえて、美夜子は遠い目をする。
「ごめん、洸兄。私、オフィスラブしちゃったんだ」
「謝るってことは不倫か」
「いや、そうじゃないけど。年下の男の子をだましてしまいました」
 洸也はふうんと適当に相槌を打つ。
「好きか」
「うん」
「じゃあオフィスラブの先駆者の兄ちゃんがアドバイスしてやろう。開き直れ」
 ぽんぽんと美夜子の肩を叩いて、洸也はのんびりと笑う。
「顔洗って下りてきな。いい天気だぞ」
 それだけ言って部屋を出ていく兄に、いつもながら軽やかな人だと呆れ半分、安心半分で見送った。
 美夜子はパジャマから部屋着に着替えて、顔を洗ってから居間に入る。
「おはようございます」
 ……そこで涼が、洸也と一緒にコーヒーをたしなみながら美夜子を待っていた。
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