いつか、星の数よりもっと

昼休み終了まであと3分。
雅希は黙ったまましばらく動いていなかった。
穴熊は組むまでが大変だけど、組んでしまえば非常に守りが固い。
貴時の玉はほころびひとつなく安全で、雅希は一方的に攻め潰された。
もう投了するしかない状態なのに雅希は動かず、すでに5分はこの状態のままだった。

「昼休み終わるよー」

担任の先生が入ってきて、雅希は慌てて駒をしまう。
投了の声は、ついになかった。

「あら、将棋? どうだった?」

走っていく雅希は何も答えず、見ていただけのクラスメイトに勝敗はわからない。

「……いちかわくんが勝ちました」

悔しさを滲ませた声は、優希のものだった。

「五年生に勝ったの! すごいね、市川君!」

弟の微妙な心理を察することなく、先生は声を大きくした。

「でも先生! こいつズルい! 将棋教室に通ってるんだよ。だから初段なんだって!」

先生は驚いて貴時を見た。
とっさに怒られると思ってぎゅっと目を閉じる。
しかしその頭にあたたかい手がポンポンとのった。

「初段なの。それはすごい! 市川君、今度先生にも将棋教えてね」

貴時が目を開くと先生はすでに背中を向けて教壇に向かっており、

「はい、座ってー。授業始めるよー」

と声を張った。
かぶさるように授業開始のチャイムが鳴っている。

優希も自分の席へと戻って行こうとして、貴時の横で足を止め、チャイムの余韻が残る中、貴時にだけ聞こえるように低い声で言った。

「足も遅いし、勉強もできないし、将棋しかできないくせに偉そうにするなよ。バーカ!」

ひとつひとつの言葉を吟味するよりも、向けられた敵意に貴時は傷ついた。
将棋を指せば勝敗がつくのは当然のことで、これまでそのことを責められたことはない。
中西も悔しそうに頭をかきむしることはあるけれど、

「市川くーん、もう一回! もう一回だけやろう!」

と笑って手を合わせてくるのが常だ。
貴時はいつも大人に囲まれていて、かわいがられてきたことに初めて気づいた。

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