裏切り者の君へ

 來夢は立ち上がった。

 すらりと細長い影、長い手足。

 遠くからでも分かるまっすぐに來夢を見つめる瞳。

「來夢」
 
振り向くと将樹が見ていた。

「來夢」

 将樹の黒い瞳。

 來夢は向かいのホームを見た。

 そこには、

 誰もいなかった。

來夢はストンとベンチに腰を下ろした。

 また向かいのホームを見る。

 誰もいない。

「あの男を捕まえたら、來夢は元カレから解放されるべきだと思う」

「解放?」

「あの男に復讐したら、來夢は俺だけを見るようになる、俺を好きになる」

 來夢は吹き出した。

「勝手に決めないでよ」

 この先、誰かを好きになることがあっても、雪也以上に愛すことはないだろう。

「1番じゃなくてもいい、雪也の次でいい」

 まるで自分の心を読まれたかのようなセリフで、來夢は将樹をまじまじと見つめた。

「來夢が俺をちょっとでも好きになった時点で、俺の勝ちだから」

「どういうこと?」

「俺には時間がある」

 将樹はゆっくり、はっきりと言った。

「雪也はこれ以上來夢との想い出を増やすことはできないけど、俺は違う。今は少なくてもこれからたくさんの想い出を來夢と作っていける。來夢が死ぬ間際まで作り続けていける」

「想い出は量より質だよ」

「そんなことない。時間には重さがある。見えなくても積み重なることで、大きな存在を突き破る力を持つんだ。少なくとも俺はそう信じている」

 将樹はきっぱりと言った。

「だから來夢、これからを俺と一緒に生きて欲しい」

 アナウンスが來夢たちの待つ電車の到着を知らせた。

 電車がホームに滑り込んでくる。

 電車に乗り込んだ将樹が振り返り來夢に手を差し伸べた。

 來夢はもう1度誰もいない向かいのホームに目をやった。

 そして将樹の手を取った。

 血の通ったその手は柔らかくて温かかった。

「今度さ、新しい手袋買ってやるよ。いつもしてんのもうボロボロじゃん」

「いいよ別に」

「そんなこと言うなよ、俺センスいいからさ、知ってるだろ」

電車の暗い窓に並んで座る自分たちの姿が映る。

「じゃあ、買ってもらおうかな」

将樹は嬉しそうに頷いた。

< 60 / 103 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop