彼・・・私の天使。


「十月からのドラマが決まったんだ。脇役だけど。十一月の劇団の公演にも出られるかもしれないし。ちょっとした役だけどカケモチだから、それでもキツイかもしれない」

「そう。すごいじゃない。主役だけが役者じゃないんだから。脇の好演の方が目立つ事だって、たくさんあるでしょう?」

「うん。分かってる。そういう役者を目指してるから」

「楽しみにしてる。劇団の公演なら観に行けるわよね」

「来てくれるの?」

「お芝居ファンの一人として観に行っても変じゃないでしょう?」

「チケット持って来るよ」

「ううん。ちゃんと自分で買って観に行くから」

「ありがとう。頑張るから」

「本当に楽しみにしてるからね。ところで明日、朝早いんじゃないの?」

「そうなんだ」

「じゃあ、もうマンションに帰った方がいいわよ」

「うん。分かってる。でも、もう少し居てもいい?」

「構わないけど、朝が辛いわよ。もし遅刻でもしたら迷惑かけるでしょ? また時間が空いたら来られるじゃない」

「いつになるか分からない。五分でも十分でも会いに来ていい?」

「うん」

「そうだ。マンションのカギ持ってた。好きな時に来るよ。朝、目が覚めたら隣に僕が居るかも」

「それもスリルがあっていいかも」

 二人で笑った。

「じゃあ、帰るよ」 

「うん」

 玄関まで行ってスニーカーを履こうとして振り返って彼女を抱きしめた。髪の甘いやさしい香りが堪らなく寂しい気持ちにさせる。
 おでこに、そっとキスした。唇にキスしたら帰れなくなりそうだったから。

「気を付けてね」 

「見付からないように?」

「そうよ」
 そう言って彼女は笑った。この笑顔も、しばらく見られない。

「じゃあ……行くね」
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