孤独びと
私の人生

皆さん、はじめまして。
作者の柊です。

はじめに軽く家族構成などを含む自己紹介をさせていただきます。


私は今から19年前、とある3人家族の次女として生まれました。
見た目が男の子、声も低い赤ちゃんでした。
好きな食べ物は特になし、嫌いな食べ物はバナナ。

両親のことは普通に好きでした。
姉のことも好きでした。



と、ここで前置きは終わりです。






いきなりですが私の母は身長が高い、脚の長い美人です。
昔から働いてこそいましたが正社員ではないです。

そんな母は、私にとってはとても恐怖で、絶対的な存在です。


なぜ恐怖なのか。
そんなこと私にも分かりません。

なぜ恐怖を感じる対象になってしまったのか、それは今から何年か遡り、小学生の時のお話です。







両親が共働きだった私と姉は、小学生の頃から家にずっと2人でいました。
夜までずっと2人で過ごしてました。

ですが姉と私は3歳差なので、私が小学4年生になると姉は中学生になってしまい、部活で帰りが遅くなることが多くなりました。


当然私は1人です。
小学4年生から、私は鍵っ子になりました。


1人で過ごすようになってからというもの、毎日学校から帰ったら外に遊びに行って夕方まで遊び呆けて帰る。ということを繰り返していました。

服も脱ぎ散らかして、何もせずに。


家に帰ってご飯を食べて、お風呂に入って、寝る。
結構幸せでしたよ。この時は。



毎日遊んで帰ってくる私の欠点は、片付けとプリント整理が苦手なこと。

ランドセルの底にくしゃくしゃになったプリントがいっぱい入っていて、母に怒られることがどんどん増えていきました。


最初の頃は頭を叩くだけでしたが、外に放り出されたり、箸を投げられたり……、酷くなってくると、仰向けの私のお腹の上に両足で乗り、跳ばれることもありました。

謝っても許してもらえない、逆らうと暴力が待っている、そんな毎日でした。


でも、何もできない私が全部悪いんです。
全部完璧にできたら、暴力を振るわれることもないんです。

当然、母の機嫌は私か姉が何かをしでかすと今まで以上に悪くなりました。
毎日毎日、母の顔色を見て過ごすようになりました。


機嫌が悪い日は何も声をかけない、言われたらやる。
機嫌がいい日も、機嫌を損なわないように言い返さない、言うことを聞く。
結局毎日ですよね。

こんな感じで、小学生の間は自分が全部悪いと思い込んで過ごしました。


メモ)最近まで残っていた癖があるのですが、それは友達とハイタッチができないことです。
叩かれすぎて上から手を出されると、反射的に頭をかばってしまう癖ができていました。







中学生になり、私も部活に入って帰りが遅くなる日が増えました。
それでも誰も帰ってこない家で過ごすことは多かったです。

この頃から、家事をするようになりました。
自分の将来のためではなく、母の機嫌を損なわないようにするための自分なりの防御方法でした。


ある日、母の帰りが遅く姉と夜ご飯を作って待ってようかと思いつき、母が喜んでくれるかな、と、カレーを作りました。

当然喜んでくれた…
なんてことはありません。


帰ってきて「何を作ったの」とひとこと。

当然カレーしか作ってません、カレー作ったよ。と私は返事をしました。

すると母、なんて言ったと思いますか?




「ほかに作るものなかったの?!なんで〇〇とか〇〇とか作れる材料あるのに作らないの?!ていうかカレー薄すぎてしゃばしゃばだしこんなの食べたくない!!!誰が作れって言った!!!」


と、大激怒。


私も姉も大号泣。
その日から私は、人に料理を作ることが怖くなり、今でも自ら積極的に人に料理を作ることはないです。

なんで怒られたのか、なんで作ったのに喜んですらもらえないのか、

この辺りから母のことをどんどん信じられなくなってきました。



そんな時に私の中で1番印象に残る出来事がありました。


私が自分の部屋で勉強をしている時、いきなり母が部屋に入ってきてひとこと、「服の入っている引き出しを片付けろ」と言いました。

メモ)実はこの時点で私と姉の部屋(共同部屋)にはドアがありませんでした。引きこもらないようにと母に取り外されていたんです。



その命令通り、私は片付けを始めました。

するとまた母は部屋に来て、えらく機嫌が悪いと思ったら…

私が整理して畳んで入れた服を引き出しごとひっくり返して、
「なんでこんなにも綺麗にできないの?!なんで言う通りにできないの?!これもこれもこれもこれも全部やり直し!!!!」

と、椅子に座っていた私に服を投げつけて来ました。

また、当然私は放心状態で大号泣。
そんな私を見て母は怒りながらひっくり返した服を要る要らないで仕分けしはじめました。

私はいる服を泣きながら畳んで、泣きながら直しました。


その日はずっと泣きっぱなしで、次の日はだいぶ目が腫れていて、先生にも友達にも心配されました。



この頃、まだ両親の仲は良く、私の部活の大会を2人で見にくるくらいでした。


確か中学3年生あたり、既に4人で食卓を囲むことはなくなっていました。
誰かが家にいない、ではなく、単純に母と父の中が悪くなったから一緒に食べないだけです。


実際私には家族で旅行に行った記憶は多くありません。
せいぜい1回です。

家族でどこかに遊びに行った記憶も、それこそまだ私も姉も小さい時のものしかありません。


実を言うと中学生になったあたりから、柊が高校を卒業したら離婚をすると言われ始めていました。

まぁ、そこまで家族に執着はないので離婚するのか、くらいに思っていました。



そんなこんなで私は高校生になり、姉は進学せずに就職をしました。

姉は就職後何ヶ月か経つと、友達とシェアハウスをすると家を出て行き、私と仲の悪い夫婦が残りました。


この時点で、家族のつながりはほぼ崩壊していました。
母は姉に対して色々と悪行をしていて、姉の母に対する信用はゼロでした。

現在も、私だけが3人全員と繋がっている状態です。

母と父、母と姉は完全に切れています。



私が高校に上がってからというもの、母の暴力は無くなりました。
代わりに言葉での暴力が始まりました。


何か気に入らないことがあると
「なんでこんなこともできないの、なんであんたを産んだんだろう」
「なんで私の子なのにこんなこともできないの」
「何もできない知らない子はいらない」
「なんであんたも父の味方なの、私はずっと1人なんだよねこの裏切り者が」

などと攻撃をするようにぼやき始めたのです。


もう私は母親の前では泣きませんでした。

その代わりにツイッターで病み垢を作り、毎日そこで愚痴を吐き出すようになりました。


そんな最中、姉が精神病、軽度知的だとを父の口から知りました。


父には、「柊はまだ何事も客観的に見れるし心に余裕があるから、姉のことを気遣ってやってほしい」とお願いされました。

その日から、姉のことを気遣い、母の仕事の愚痴を聞き、小言を聞き、父には姉の病気の症状を聞き……









正直、私の心はズタボロでした。

リスカをするようになりました。
OD(薬を大量摂取)もしました。
苦しかったです、辛かったです、今すぐにでも消えたかった。


そんな時、病み垢で繋がった人に助けてもらいました。
本当に、私の光でした。

夜中にツイッターを見ては話しかけ、
ツイキャスをしては話し、
母に怒られた日は話を聞いてもらいました。

本当に、本当に、感謝しきれないほど、助けてもらいました。




すっかり病み垢の住人になった私は高校2年生の時、自分がセクシャルマイノリティーだということに気づきました。

知らない方は調べてみてください。



最初はバイセクシャル、次はAセク、そして現在はレズビアンです。

好きな人がいます。それはもちろん女性です。



高校では、いろんな出会いがありました。
不安定なモラトリアムの時期に、私は素敵な人たちと出会うことができました。
今でも、4人ほど親交がある方がいます。

ネットで繋がるなんて怖いなんて言っていた頃もありましたが、結局ネットに助けられました。


こんな出会いもありだと思います。










そして高校を卒業し、現在。
専門学校の1年生です。


姉は現在ある職場で接客業をしています。


姉はもともと猫を被る性格で、そこまで家事をしない人でした。
そこまでというか皆無です。

私と母で毎日姉の分まで家事をしている状態です。



何もしない姉と愚痴をぼやきながら機嫌を悪くする母。
帰ってきても部屋にこもる父。


私の頭の中では自分が1番まともな人間だと認識しています。




最近母には彼氏が出来たようで、携帯にひっつきっぱなしです。

なにかしなければいけないことがあっても、彼氏のLINEに即返信しなければいけないという状態なので、それを遮ってしまうと機嫌が悪くなってしまいます。


母に機嫌が悪い時は、学校から帰ってきて、家事をしてます。
母の機嫌が悪くない時でも、ほとんど私が家事をしている状態です。
ストレスしかありません。

そんな中、母と父は近日離婚成立するらしいです。


母は彼氏と少し遠くで同棲するそう。






もう嬉しさしかありませんよね。

当然世間から見たら母が家を出て行くのになんて親不孝なやつだ、なんて思われます。

そんなの知りません。
やっとこの地獄から解放されるのです。


わかりますかこの気持ち。

あ、わからなくてもいいです。
でも私は嬉しくて嬉しくて仕方ありません。



本当に苦しかった、耐えて耐えて、誰にも甘えられず、頼ることもできず、ただただ頑張って生きてきた。
もう縛られない。


そういえば私には母の彼氏と会いたくない理由があるんです。
何かわかる方いますか?

正解は、母のいいところしか見てない、その母を好きな人とは話したくない。です。


なんで母のことを好きな人と話さなければいけないのか、そんなことを考えてしまうほど、私の心は廃れてしまっています。




母の彼氏とは顔を合わせるつもりも直接話すつもりもありません。


この世の中で決して切ることのできない親子関係
これが結構、私にとっては嫌なんです。





最近は怒られることも減り、ほぼ姉と父に対する愚痴と仕事場での愚痴だけになりました。


久々に母が帰ってくるのが遅く、ご飯を作らなきゃなと思っていたら母が帰って来てしまい、とてつもなく焦りました。

まぁ思っていた通り「何もしてないの」と言われてしまい、「ごはん炊こうかな」と答えることしかできませんでした。


なんで焦るかというと、今まで私が家に居て遅くに母が帰って来たときにご飯を作っていないと「なんで何も作ってないの?!」と怒られ、機嫌を悪くしていたからです。



私は今でも母の顔色や友達の顔色、先生の顔色など、いろんな人の顔色を必要以上に伺いながら生きています。

正直癖だといったら早いですが、癖だとしてもだいぶ気の使う癖です。
おすすめはしません……。







そんなこんなで、あと1週間ほどで母は家を出るそうです。

母が居なくなると、この本の名前通り私は「孤独びと」になります。

きっとこれからも、ずっと孤独です。
誰とも分かり合えず、過去に縛られて生きていくしかないんです。

それでも、この経験が何かに役立つ時がきますように。





< 1 / 3 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop