大江戸シンデレラ

◇黒塀の場◇


三百坪をゆうに超える松波の広大な家御屋敷と較べると、その仕舞屋(しもたや)は奉公人の中間(ちゅうげん)たちが常駐する長屋門ほどの手狭さであった。

町家の外れと思われる其処(そこ)は、辺りに騒がしい長屋もなく、侘しいまでにひっそり(かん)としていた。

しかもその周囲(ぐるり)は、真っ黒な渋墨が塗られた杉板にびっちりと覆われた「黒塀」で、外から中を覗き見ることはいっさいできなかった。

まるで、町家の旦那(しゅ)が入れ上げた色里の(おんな)落籍()かせたあと、家人に知られぬようひっそりと囲ってやっている、妾宅のようであった。


「だれにも告げず、こないな(ところ)に参って……
松波の御家(おいえ)が……姑上(ははうえ)様が……
わたくしを如何(いか)ほど御心配なさるか……」

美鶴はおさと(・・・)に介添えされながら、よろよろと家の内に入っていく。

その顔は、すっかり青褪めていた。


「御新造さん、心配(しんぺぇ)は無用でさ」

おさとは何故(なぜ)か、余裕綽々(しゃくしゃく)で応じた。

先刻(さっき)弥吉さんに()うたときに、御新造さんが久方ぶりに御実家にお戻りんなって『里心』がついちまったから、奥様やおせいさんにはしばらく松波様の御家にゃ(けぇ)れねぇって云っといとくれ、って言付(ことづ)けてきたでやんす」


——ま、まさか……さような……

美鶴は絶句して、二の句も継げなかった。


「御新造さん……実は、あたい……」

おさとは、急に神妙な面持(おもも)ちとなった。

「御輿入れなすった松波様の御家で……
もし、どうしても辛抱たまらんことがありなさったなら……」

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