大江戸シンデレラ

あの雨の日以来、明石稲荷へお参りすると、舞ひつるは兵馬に手招きされて小堂へ入り、ほんの僅(わず)かな刻(とき)ではあるが話をするようになった。

とはいえ、兵馬は差し障りのない限りでの御役目の話をし、舞ひつるも見世の客の話は御法度ゆえに当たり障りのない稽古ごとの話くらいしかできないが。


「わっちは同じ『待つ』に『郎女(いらつめ)』であらば、
……此の方が好きでなんし」

羽おりも、負けず劣らずたっぷりと墨を含ませると、一気呵成に筆を走らせた。
羽おとよりも大振りの無邪気な手(字)である。

『來むと云ふも 來ぬときあるを 來じと云ふを 來むとは待たじ 來じと云ふものを』

〈あなたは「来る」と云ってても来ないときがあるのに、あなたが「来ない」と云っているときに決して待つことなどしない。あなたは「来ない」と云っているのだから〉

穂積皇子や藤原麻呂などを相手に数々の恋に堕ち、晩年まで恋多き女として名を馳せた大伴坂上郎女の歌である。


舞ひつるの心の臓が、どきり、と音を立てた。