それは誰かの願いごと




電車で席を譲る諏訪さんを見かけて以来、不思議と、社内でも彼を見かける機会が増えていた。

でもそれは、わたしが彼を意識しだしたからで、本当は不思議でもなんでもないのかもしれない。

諏訪さんはおしゃべりな方じゃないので、誰かと一緒にいてもあまり声を聞く機会は少なかった。
だから、あの日聞いた『もしよろしかったらどうぞ』のセリフが、ひどく記憶に残っていた。

営業部の諏訪さんも、広報部のわたしも、常に社内にいるわけではなかったけれど、ときどきエントランスですれ違ったり、社外に出るタイミングが近かったり、そんな些細なことを喜んだりもした。

……そして、“良いことのあとに待ってる良くないこと”に、ちょっとだけビクビクもしていたのだけど。

こんな性格だから、好きな人は、見ているだけで充分だった。

昔から、性格同様、恋愛ごとにも積極的にはなれなかったから。
気持ちを伝えて、もし相手に迷惑をかけたらどうしよう…そんな不安がつきまとってしまうのだ。
考えすぎて、臆病になって。

だからもちろん、諏訪さんのことも、ただ、ひっそりと想ってるだけだった。
そもそも、諏訪さんは、それ以上を望んだりしちゃいけない人相手だったのだ。

………なぜなら諏訪さんには、同期の彼女がいるともっぱらの噂だったから。
その噂が真実だと確かめたわけではないけれど、万が一噂通りなら、わたしの気持ちなんか迷惑でしかないわけだから。


だからわたしは、見ているだけで充分だったのだ。










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