オオカミ社長は弁当売りの赤ずきんが可愛すぎて食べられない

15

「明彦さん、次もまた、私を連れて行ってください」
 運転席の明彦さんに告げる。
 そうして願わくば、私以外の女性を連れていかないで欲しい……。
 続く台詞は、心の中で呟いた。
「ああ、また月子と来よう」
 チラリと横目に、運転席の明彦さんを見る。そうすれば、ハンドルを握る明彦さんのシャープな横顔が視界に飛び込む……。
 その造作は、初めて出会った時から寸分も変わらない。だけど、明彦さんが過ごしてきた四年分、その雰囲気は確実に重みを増している。……当時より、もっと素敵になっている。
 四年前、明彦さんは就職を控えた大学生だった。
 だけど在学中に司法試験に合格し、司法修習を終えて法曹の仲間入りを果たした明彦さんは、既に世の学生とは同列じゃなかった。
 飛び抜けて優秀で、底抜けに頭が切れる。なのに、その懐は人間味がって、どこまでも温かい。
 ……もう、隠せない。私は、明彦さんが好き――。
 恋の蕾は、学生時代に結んでいた。
 最初に抱いたのは、純粋な好意。
 容姿端麗で頭脳明晰、そんな絵に描いたようなスペックを持つ明彦さんに、憧れない女性はいないだろう。私もまた、素敵な人だと思い、憧れた。
 だけど会話を重ね、多くの表情を目にする中で、認識は変わる。
 その容姿も、立派な仕事も、どれも明彦さんという人のほんの一面に過ぎない。しかもそれらは、極めて表面的な一部分。
 私はきっと、明彦さんが綺麗な容貌をしていなくても、明彦さんが立派な職業に就いていなくても惹かれていただろう。
 優しくて、おおらかで、頼りになって、……どんなに探しても、明彦さんに対して愛しい以外の感情が浮かぶ余地はなかった。
 ……明彦さんへの想いが、ここにきて大きく膨らむ。けれど一方で、私は自分の身の程もまた、よく知っていた。
 明彦さんとの恋は、実らない。……いや、万が一想いが通じ合ったとすれば、男女の関係に踏み出す事は出来るかもしれない。
 けれど、恋のゴールが結婚だとすれば、それは叶わない話だ。
 名門の大狼家の若奥様には、家格の見合った女性が納まるべきで、それは私ではあり得ない。
 私が明彦さんの社会的な評価を貶める事は望みじゃない。
「月子? 随分と静かだが、疲れてしまったか? もうじきアパートだ」
 労わりの篭る明彦さんの声が、耳に優しく響く。
 低音のバリトンボイスは、聞いていると、まるで凪いだ波間を揺蕩うみたいな心地になる。
「……いえ。明彦さん、今日はとても楽しかったです。思い返せば私、今日はいっぱいの人生初体験をしているんです」
「ホテル以外にも何かあったか?」
 その声がもっと聞きたくて、私は明彦さんにつらつらと取り留めのない事を話しかけていた。
「ラブホテルはもちろんなんですが、実を言うと『オフィスアイス』を利用したのも、缶入りのコーンスープを飲んだのも、初めてでした」
「そうだったか。しかしそういう意味では、俺も月子に初めての体験をさせてもらっているな」
 明彦さんの声は、やはり耳に心地いい。
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