オオカミ社長は弁当売りの赤ずきんが可愛すぎて食べられない

「あの、私の事はよかったら月子って呼んでください。君って呼ばれるのもなんだかこそばゆいので」
 はにかんだ笑みで告げられた、少女の名。
「月子……」
 口内で小さく反芻してみれば、言いようのない歓喜が胸に満ちる。恍惚から、自然と目はトロンと細くなる。
「あ、あの! 違うんです! 下の名前を名乗ったのは、下心とかそういうのじゃないんです。私、ちょっと家庭の事情で苗字が変わったりとか色々あって、苗字はあまり名乗りたくなくって……」
 けれど何を勘違いしたのか、月子はとても慌てた様子で言い募った。
「明彦だ」
「え?」
 月子が俺を見上げる。月子の黒く潤んだ瞳に、俺が映る。
 この時俺の脳裏には、月子の瞳に映るのが俺だけであればいいのにと、そんな傲慢な思いが浮かんでいた。
「俺の事は、明彦と呼んでくれ。それから月子、俺は月子のよそう豚汁が食いたい。だから月子の勤務シフトを教えてくれ」
「え!? あ、はい!」
 月子は一瞬驚いたように目を瞠ったが、すぐにショルダーバックから手帳を取り出すと、今月のシフトを読み上げた。
 俺は頷きながら、その全てを脳内に記憶した。
「来月のシフトはまだか?」
「え? あ、もう決まっています。来月は――」
 俺は翌月のシフトも全て脳内に焼き付けた。
「分かった。今月は、月子の出勤日に必ず行く。しかし来月からは、俺も自由が利きにくくなる。おそらく毎日は通えなくなるだろう。だが、今後も都合のつく日は必ず行く」
 俺は在学中に司法修習までを終え法曹となったが、実務経験はこれからだった。この四月からは、大手法律事務所への就職が決まっていた。
 そこで数年を務めてから、父の会社への移籍を予定していた。
 四月以降は多忙が予想された。
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