音にのせて

第7話 記憶の扉

“ 俺達にできることは、西園寺を見守っていくこと。それが、西園寺にとっても一番良い事なんだ”

昨日、椎名君から告げられた言葉。
その言葉と一緒に、昨日の出来事が頭から離れない。
初めて見た凌玖君の笑顔も、椎名君と紫央君の辛そうな表情も。

どうして、凌玖君の笑顔が消えてしまったのか。
その鍵は、きっと「愛の挨拶」にある。
しかし、椎名君達はこれ以上関わるなと言う。
凌玖君の過去には、それ程の何か辛く悲しい出来事があったのだろうか。
それを知った時、椎名君の言う通り私に出来る事なんて無いのかもしれない。

(…だけど…)

関わらない方が良いと思っていても、凌玖君の表情がその考えを打ち消していく。

(…私は、どうすれば良いんだろう)

まるで、出口の見えない迷路をグルグルと彷徨っているような感覚だ。





「…かなちゃん」

学校の廊下を歩いていた私の後ろから呼ばれた声に、私の身体が反射的に強張った。
その声は、できれば今はあまり聞きたくない声だった。

「…紫央、君…」

私が振り向くと、紫央君は少しぎこちなく笑った。

「これから、ちょっと時間ある?」

今は放課後。特に用事も無い私は帰ろうかと思っていたところだった。急いで帰らないといけない用事も無いので、はっきり言って暇である。
ただ、昨日の今日で紫央君と話をする気が起きなかった。

「…かなちゃんが怖がることはしない。約束するよ」

私が返答に困っていると、紫央君は再び小さく笑みを向けて言った。
少し迷ったが、私は小さく首を縦に振ると、紫央君は「ありがとう」と小さくお礼を言った。





紫央君の後ろを少しだけ離れて付いて行き、到着した場所は中庭だった。
初めて紫央君とここで話をしたように、私達はベンチに並んで腰を下ろした。

「昨日は…ごめんね。驚いたでしょ?」

小さな声で言った紫央君の表情は、いつもの紫央君のものではなかった。どこか寂しげで、今にも泣き出してしまいそうだった。

「…うん」
「そうだよね。…ごめんね」

それから、私達は口を噤んだ。
空には白い雲がゆっくりと流れている。まるで、時がゆっくりと流れているように。

「…教えてあげようか。りっ君のこと」

しばらく経ってから発せられた紫央君の言葉に、私は彼へと視線を向けた。
それを私の返事と捉えたのか、紫央君は空を見上げてぽつりぽつりと話し始めた。

「りっ君はね、昔はあんな感じじゃなかったんだ。ちょっと生意気なところは変わってないけれど、あんなに冷たい目をするような奴じゃなかった。あの日が来るまでは…」

紫央君は一呼吸置いて、再びゆっくりと口を開いた。

「りっ君は、お母さんから虐待を受けていたんだ」
「…虐待?」

聞きなれない単語に、私の背筋がゾクリと一瞬強張るのを感じた。

「うん…。その虐待がどれくらい酷かったのか俺も知らないけれど、その頃からりっ君はだんだん人を遠ざけるようになっていったんだ」

初めて知る凌玖君の過去に、私は言葉が出なかった。
私は想像でしか考えられないが、自分のお母さんから虐待をされていたら、相当辛く苦しいものだろう。
それが原因で、人を遠ざけてしまうようになったことも納得がいく。

「…でも、そのお母さんはりっ君の本当のお母さんじゃないんだ」
「え…?」
「りっ君の本当のお母さんはりっ君が小学2年生の時に死んじゃったんだ。でも、りっ君にはその時の記憶が無いから、その後に再婚した人を本当のお母さんだと思わせるしかなかったんだ」
「記憶が…無い?記憶喪失ってこと?」

私の言葉に、紫央君は「まぁ…そんな感じかな」と力なく笑いながら言った。

「…これが、俺達がりっ君に隠している事」
「…どうして、隠しているの?」
「隠さなきゃいけないんだ…。りっ君が…壊れちゃうから…」

紫央君は顔を伏せた。表情はあまり見えなかったが、私にはその姿がとても辛そうに見えた。

「…実は…りっ君の、本当のお母さんは…」
「紫央っ!」

紫央君の言葉を遮るように聞こえた怒鳴り声に、私はびくりと肩を震わせた。
声のした方を見ると、椎名君が眉間に皺を寄せてこちらに近付いてきた。

「どういうつもりだ!?紫央!」

椎名君は凄い剣幕で紫央君の胸倉を掴んだ。紫央君は椎名君の方を見ず、下に視線を向けたままされるがままというような様子だ。

「紫央!お前何考えてるんだ!?今一体何言おうとしやがった!?お前のその軽薄な行動がどんな事になるか…」
「…りっ君にも、知られるかもしれない…とか?」

それまで黙っていた紫央君が口を開き、椎名君を睨んだ。彼の目は今までに見たことないような鋭い瞳をしていた。

「どこでりっ君に知られるか分からない。もし知られたら、りっ君は壊れるかもしれない…。そう言いたいんでしょ?」
「そこまで分かっててお前はこいつに言おうとしたのかよっ!?言っただろ!西園寺は俺達で守ろうって…」
「恭ちゃんは、今の状態でもりっ君を守ってるって言えるの!?」

紫央君は立ち上がると、椎名君の胸倉を掴み返した。

「あんなの、俺達が知ってるりっ君じゃないよ!俺はこれ以上あんなりっ君見てられない!誰かがりっ君を助けないと…!」
「いい加減にしろ!紫央!俺達には何も出来ない!分かっているだろ!?」
「そう思ってるのは恭ちゃんだけだよっ!恭ちゃんだって…恭ちゃんだって本当は辛いくせに…っ!」
「そこまでだ!」

今にもお互いが殴りかかるかという時に聞こえたその声によって、その場の空気が一瞬固まった。

「お前ら…一体何やってんだ?」

その声の主、凌玖君は冷たい碧い瞳を向けながらこちらに近付いてきた。

「西園寺…お前いつから…」
「たった今だ。椎名、お前生徒会役員なんだから、ケンカなんか起こして問題にでもなったら大変なことになるぞ?分かってんのか?」
「……悪い」

凌玖君の言葉に椎名君は握っていた紫央君の胸倉をゆっくりと放し、小さく謝った。紫央君も黙って下を見つめていた。

「もう話は終わったな。じゃあ、こいつは借りていく」

そう言って、凌玖君は私の腕を掴み強引に引っ張った。

「ま、待てよ、西園寺…」
「…まだ何かあんのか?」

冷たく放たれた言葉に、椎名君は「いや…」と返すことしかできなかった。
そして、凌玖君は「行くぞ」と私を引っ張って行った。
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