音にのせて

第17話 夏祭り

柊木野学園はエスカレーター式の学校のため、通常の授業態度や試験の結果がそこまで悪くなければ大学へ進むことができる。そのため、普通の受験生のように夏休みを潰して受験勉強をする生徒は少なく、逆にセレブらしく長期休みを利用して海外へ旅行に行く人が多い。

西園寺家は勇一さんも仕事が忙しいという事もあり、まとまった休みを取る事は出来ず。
凌玖からは「どこか行きたい所があれば付き合ってやる」と言われたが、特別行きたいと思う場所も無かったため断った。
いや、“行きたい場所が無かった”と言うよりは、庶民の心が抜けきれず、そんな贅沢はできないという気持ちが大きかったからだが。



そんな夏休みに入ってしばらく経ったある日、紫央君からグループメッセージが届いた。

「ハァ?花火大会だぁ?」

同じグループに入っている凌玖はそれを見て面倒そうな声を上げた。

「何だってあいつは急に言い出すんだよ」

そんな凌玖に私は苦笑を浮かべつつ、送られてきた内容に改めて目を向けた。それは、今日行われる花火大会へのお誘い。しかも、「全員強制」の文字付き。集合時間と場所も記載されており、行くこと前提の内容だった。

「凌玖、行くの?」
「『全員強制』らしいからな。行かないなんて言ったら、後が煩そうだ。それに、たまにはあいつらに付き合ってやるのも悪くねぇしな」

ぶっきらぼうに言いつつもみんなに合わせようとしてくれる凌玖に、私は少し嬉しくなった。以前の凌玖だったら、きっとみんなとどこかへ行くということはしなかっただろう。
そう考えた時、私はふとある考えにたどり着いた。

「そういえば、凌玖ってお祭りとか行ったことあるの?」

私には、財閥の御曹司が庶民の祭りに参加している姿が想像できなかった。ましてや、今まで人と関わろうとしてこなかった凌玖だ。きっと行ったことが無いんじゃないかと思った。

「俺様を誰だと思っていやがる。祭りの知識くらいはあるよ」

絶対「行ったことない」とは口にしない凌玖に、私は苦笑を漏らした。

「そういやぁ、メールに『浴衣で来ること』って書いてあったな」

私はその言葉に改めて携帯に目を落とした。確かに、「全員浴衣で来ること」と書かれている。紫央君のその徹底振りに、私は思わず笑いが溢れてしまった。

「浴衣なんて持ってねぇぞ…?」
「あ、そっか。お祭り行くのも初めてだったら浴衣も持ってないよね」

私の言葉に凌玖は一瞬だけ不機嫌そうな瞳を向けた。よっぽど自分が行った事ないと思われるのが嫌らしい。

「お前は持ってるのかよ?」
「うん」

西園寺家へ来る前にも毎年地元で小さな夏祭りが催されており、よく友達と浴衣を着て行っていた。

「ハァ…。仕方ねぇ。今から買いに行くか」
「え…?わざわざ買いに行くの?」
「無いんだから買うしかねぇだろ?」

確かに、紫央君からのメッセージには「浴衣で来ること」と書かれていたが、今日1日のためだけにわざわざ買いに行くだろうか。そういう発想になるところが私と凌玖の育った環境の違いなのだろうと、私は改めて思った。

その時、凌玖の携帯が鳴った。

「…及川?」

凌玖はディスプレイに表示された名前を見て怪訝そうな顔をしつつ、電話に出た。
何度か言葉を交わした後、凌玖は電話を切り、小さく溜め息を吐いた。

「浴衣、俺のは及川が貸してくれるそうだ」
「え?そうなの?」
「あいつ『どうせ浴衣なんて持っていないだろ?庶民の祭りに行くんだから、何でも金で解決しようとするな』とか言いやがって」

ムスっとした表情をしている凌玖には悪いが、私も真翔君の意見に心の中で小さく賛成をした。





その後、凌玖は真翔君の家に行ってから会場へ向かう事になり、先に家を出て行った。
私も準備を始めようと、クローゼットから浴衣を取り出した。その浴衣は、紺色の生地に大きな桜が幾重にも咲いている物だった。

「問題は着付けだよね…」

いつも浴衣を着る時はお母さんが手伝ってくれていた。
しかし、今はお母さんも仕事に行っているため不在。
こういう時、凌玖だったら迷わずお手伝いさんの誰かを呼んでいるんだろうけれど、皆さんの仕事の手を止めさせてまで頼むなんて、私にはまだ出来ない。

とりあえず自分でやってみようと思い、携帯で着付けの方法を検索してみる。すると、文章やイラストだけではなく、動画まで見つける事ができた。
私はそれらを見ながらしばらく浴衣と格闘してみたが、思ったように着る事が出来ない。最後まで出来たと思っても、帯が取れそうになったり、胸元が緩かったりと、見栄えが良くない。
時計を見ると、そろそろ出ないと間に合わない時間だった。

(こうなったら申し訳ないけれど、誰かお手伝いさんに頼むしかないかな…)

そう思った瞬間、「ただいま」という声が聞こえてきた。
私には正に救世主のように感じられ、部屋から飛び出してその声の主の元へと向かった。

「お母さん!浴衣の着付けして!」

若干着崩れしている着物を落ちないように押さえながらやって来た私に、お母さんは一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに呆れたように苦笑を漏らした。

「奏…あなた、なんて格好してるの…」
「だ、だって…1人でうまく着れなくて…」
「仕方ないわね。ほら、やってあげるから部屋へ行くわよ」

そう言って歩くお母さんの背中に「ありがとう」と言いながら、お母さんの後を追いかけた。





その後、お母さんは手際よく浴衣を着せてくれた。ついでに髪もアップに上げ、右側に花の髪飾りを付けてくれた。

「…はい、完成」
「ありがとう!お母さん」

私はお母さんにお礼を言うと、カゴバックを手に掴んだ。
時計を確認すると、もうすぐ待ち合わせ時間になる。完全に遅刻だ。
「気を付けてね」と言うお母さんの言葉を聞きながら、私は急ぎ足で家を飛び出した。

私は道すがらみんな宛に遅れる旨メッセージを送ると、すぐに紫央君から「待ち合わせ場所で待っているから、気を付けて来てね!」と返信があった。その優しい言葉に申し訳なく思いつつ、私は待ち合わせ場所でもあるお祭り会場の入口を目指した。





私が着いたのは、待ち合わせ時間から10分程過ぎたくらい。お祭り会場の入口付近は待ち合わせなのか多くの人がいて、ここから待たせてしまっているみんなを探す事が出来るのだろうかと少し焦っていた時、見知った人影を見つけた。私はその人物に向かって声を上げた。

「椎名君!」

私の声に反応して、携帯を見つめていた視線を上げた椎名君と目が合った。

「ご、ごめんね…!遅くなって…」

私は人波を掻き分けながら椎名君の傍まで行くと、謝罪の言葉を述べた。

「…いや、別に…」

しかし、歯切れの悪い椎名君の言葉に不思議に思いつつ彼へと視線を向けると、椎名君は顔を背けていた。既に辺りは暗くなってはいるものの、お祭りのライトに照らされた椎名君の顔は、心なしか少しだけ赤いような気がする。

「…どうかした?」

私は椎名君の顔を覗き込むように尋ねると、再び顔を逸らされた。私が不思議に思っていると、小さな椎名君の声が聞こえてきた。

「…浴衣…」
「え…?」
「……浴衣、似合ってる…」

先程よりも顔が赤い椎名君の顔が見え、私も釣られて顔が熱くなっていくのを感じた。

「あ、ありがとう…。椎名君も似合ってるね、浴衣…」

グレーの生地に縞模様が施された浴衣に黒い帯を締め、シンプルながらも椎名君のイメージにとても合っている。胸元が少し開いて鎖骨がチラリと見えるのも、どこか男性の色気を感じた。

「お、おう…。サンキュー…」

私と椎名君はしばらくお互い恥ずかしさから視線を逸らしたまま、無言の状態で立ち尽くしていた。

「…そ、そういえば、他のみんなは?」

辺りを見渡しても凌玖達の姿が見えない。私は気まずさを紛らわす意味も込めて椎名君へ質問した。

「他の奴らは先に花火の閲覧スペースに行ってる。この人の多さだから、先に行って場所取っておくってさ。だから俺がここで奏を待ってた」
「そっか…。本当にごめんね…」
「そんな何度も謝んなくても良いよ。…俺はラッキーだったし」

椎名君の最後の方はあまりにも声が小さく、周りの喧騒でよく聞き取れなかった。

「え…?」
「何でもない。それより、俺達も行こうぜ」

そう言って進み出した椎名君の後ろを、私は慌てて追った。





花火を観覧する場所までは、普通に歩けば15分程の所。しかし、その道の両脇には様々な屋台が立ち並び、その屋台に並ぶ人や私達と同じように観覧場所に向かっている人など、多くの人でごった返している。そのお陰で前に進むのも一苦労だ。おまけに、今日は履きなれていない下駄を履いているせいもあり、更に歩きにくさを倍増させている。それでも、はぐれてしまったら再度合流するのは大変そうだと思い、私は必死で前を歩く椎名君について歩いた。
その時、背中に軽い衝撃があったと思った瞬間、身体がぐらりと傾いていくのを感じた。

「あっ…」

私は小さく声を上げた直後、力強い腕に抱きとめられた。

「大丈夫か?」

その声に顔を上げると、椎名君の顔が目の前にあった。椎名君の腕はしっかりと私の背中に回され、私の身体を支えてくれている。

「う、うん…。ありがとう…」

私は転びそうになった事と、椎名君に抱きしめられているこの状況に恥ずかしさを感じ、椎名君の腕から逃れつつ小さくお礼を言った。

「ったく、ホント危なっかしいよな、お前」

そう言って苦笑混じりに笑うと、椎名君は「ホラ」と手を差し出してきた。

「また転んだら危ないからな。俺の手に捕まってろよ」
「え!?で、でも…」
「良いから」

椎名君は恥ずかしくて躊躇っている私の手を握ると、「行くぞ」とそのまま引いて歩き始めた。
握ってくれた椎名君の手は、力強くも優しく感じられた。
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