恋するような激しさで

「あ! あれは好き。生命保険のCMのやつ」

「CM……これ?」

「違う」

「じゃあこれ?」

「それでもない。もっとしずかな感じの」

「これは?」

お願いしたものとは違うけれど、聞いたことのある曲を次々に弾いていく。
ゆったりと構えていながらも凛とした姿は、ピアノとしっくり馴染んでいた。
見慣れたはずのブレザーにさえ不覚にも見とれてしまう。

「あ! それだ」

「『ノクターン2番』。ショパンです」

全然動かないと言っていた指は、軽やかにうつくしい音楽を奏でる。
誰でも知ってる神秘的で胸を射るようなメロディーは、繰り返されるごとにレースを重ねていくような華やかさを帯びていく。
思い入れのある曲でもないのに、目の前にすると鳥肌で震えがくるほどの迫力だった。
内臓に直接響く和音と、頭の中でさえずるメロディー。
がっしりとした手が繊細に音楽を紡ぎ出す様子は、月並みな言い方だけど魔法のようで、これまで聞いたことのある友人や先生のどの演奏よりも心地よかった。
『俺、これずっと見ていられるかも』
私もきっと、永遠にこれを聴いていられる。

その両手が膝に下ろされたのを見て曲が終わったのはわかったけれど、身体の中は小指の先まで音楽が残っていて、まだ共鳴を続けていた。

「……ありがとう。すごいね」

私をこんな気持ちにさせておきながら、満足とはほど遠い表情をする。

「譜面通り弾くなら誰でもできますよ。ブランクあるから、今はこれが限界かな」

「手、見てもいい?」

躊躇いながら差し出された手をじっくり眺めてみた。
一本一本指先を押してみたりもした。
けれど、ごく普通の男の人の手にしか見えない。

「『誰でも弾ける』なんて嘘だよ。私はできないもん」

「俺だって将棋はわかりません」

やはり指の動きに不満なようで、右手だけ鍵盤に乗せ、親指と人差し指、親指と中指、と順番に動かしていく。
音色が特別澄んで聞こえるのは、才能のせいなのか、生音のせいなのか、それとももっと別の何かなのか、私にはわからなかった。
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