うそつきす -嘘をついたらキスをされる呪い-

***

 頭が真っ白になった。覚悟していたはずなのに、その未来を予想していたはずなのに。

 こんな風になってしまうのなら、三笠佳乃を探さなければよかったのだ。後悔しても遅く、剣淵の記憶にはっきりと階段踊り場の映像が焼き付いている。

 本当はまっすぐ帰る予定だったのだ。しかし『また……明日ね』と告げた時の佳乃の様子は普段と違っていても泣き出しそうな顔をしていた。嫌な予感がして、気になり、佳乃を探してしまった。

 下駄箱で確認したところ佳乃はまだ学校に残っているようだった。だが教室に引き返してもその姿はない。学校中を探して、探して――そして見てしまった。


 あれは春の、三笠佳乃を壁に押し付けた時と同じ場所。屋上へ至る扉についた小さな窓から、オレンジ色の光が差し込む。舞い上がったほこりに光が反射してきらきらと輝き、まるで幻想的な空間だった。

 そして重なる影。伊達享が佳乃に口づけたのだ。

 三笠佳乃の想い人が伊達享なのだから、いつかそういう未来がくるだろうと思っていた。そのために協力だってしてきた。
 だというのに目の当たりにしてしまえば、なぜそこにいるのが伊達なのかという無力な疑問と、佳乃を奪ってしまいたい衝動がせめぎあう。剣淵の足元だけ深い落とし穴があると錯覚してしまうほど、すとんと落ちていくように体の力が抜けていく。

 愕然とする剣淵の視界で、ふわりと佳乃の髪が風に揺れた。それにはたと我に返り、剣淵は背を向けた。

 このまま佳乃が振り返って目が合ってしまったのなら、どんな顔をしていればいいのかわからない。
 協力してやるなんて言いながら、恋の成就を祝ってやる余裕も自信もないのだ。
 それならいまは、何もかも見たくない。

 家に帰っても鼓動が不安に急いていた。
 失恋をする未来はわかっていたのに、こんなにも動揺するとは思ってもいなかったのだ。外に走りこみに行く気力もなければ勉強をする元気もなく、ベッドに倒れこんで呆然とするばかり。

「あいつ、見る目ねえだろ。バカか」

 ひとりごとと共に頭に浮かぶのは佳乃と伊達のことだ。三笠佳乃の想い人が伊達享なのが気に食わない。

 11年前の夏に伊達と出会っていたからといっても性格は最悪。デートをすっぽかしたり子供みたいな嫌がらせをして、佳乃が困る姿を楽しむような歪んだ男だ。もっとマシな男がいるのではないか。佳乃に伊達だけはやめろと忠告してやりたいほどだ。

 しかしそれができないのは、それほど佳乃のことが好きになってしまったからだ。伊達への嫌悪よりも佳乃への好意が上回り、クソッタレ男が相手だろうが応援してやりたいと思ってしまう。何よりも、佳乃の幸せそうな顔が見たかった――はずなのに。

 伊達にキスをされているあの瞬間、きっと佳乃は幸せだったのだろう。
 剣淵では与えることのできない、最高の幸福を味わっていたはずだ。それが求めていた未来だったのに、胸が張り裂けそうに苦しい。

「……俺も人のこと言えねーな」

 見る目がないのは佳乃だけではないのだ、と自嘲する。そこまで佳乃を好きになってしまった剣淵自身も見る目がないのかもしれない。


 しかし何だって、今日だったのか。明日の土曜日は八雲と会う日。そこに佳乃もくることになっている。
 来なくていいと連絡するべきかと悩んだが、何度かメッセージをかきかけて、そのうちにやめた。失恋したとわかっているのに、まだ佳乃に会いたいと思ってしまう浅はかな自分がいる。

 剣淵が想像していたよりも、失恋というのは苦しいものである。好きな人を手に入れるだなんてきっと奇跡みたいな確率なのだ。

 剣淵が、佳乃が。それぞれの想いがすれ違って悩む中も時間は過ぎていく。
 そして土曜日。二人は駅前に集まった。
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