小さな傷
古田由緒(フルタ ユイ)の場合
「ユイ(由緒)、お昼は?」
「あ、もうこんな時間か。行く行く。」

私の名前は 古田由緒、某中堅企業でOLをしている。
間も無く(あとひと月で)30歳を迎える。

『三十路』まさか、この歳まで独身(現在彼氏なし)でいるとは夢にも思わなかった。

元々結婚願望が強かったわけではなかった。
でも、おそらくは、30歳には子どもが二人くらい(5歳の男の子と3歳の女の子)いて、旦那さんと4人でちょっと郊外の一軒家かマンションで暮らし、近所のママ友と交流をしつつ、週末には家族でちょっとだけ贅沢な外食なんかをしている。

そんな平凡だけど幸せな家庭を築いている…はずだった。


「ユイ!何ボーッとしてんの?」
「え?あ、ごめん。」

「ちょっと話聞いてた?それでさ、営業部の佐伯さんって、うちの佳菜子と付き合ってるらしいよ。それでさー…。」

昼時には同僚とお決まりの恋バナか、誰かの悪口。

入社から8年、OLとしてはそろそろ中堅と言われ、それなりに仕事も任されるようになった。

でも、その仕事にのめり込むほど夢中にはなれていない。

「ユイ、そう言えばこの前の合コンどうだった?」
「あ、先週の日曜の?」

「そうそう、何かセレブというか、お金持ちの多い会だったんでしょ?」
「あ、うん、確かに。」

「なによ、それ。気のない感じね。」
「うん、ひとりアドレス交換はしたんだけど…。」

「お!それで?」
「無理…かな…。」

「なんで?!見た目?」
「ん〜、なんていうか、感覚が違うというか…。」

「なにそれ?もう贅沢言える歳じゃないでしょ。多少見た目が悪くても、金があるならそれだけでも、ラッキーと思って、結婚しちゃえば、さっさと子どもだけ作って、あとは外で働いてもらえばいいじゃない。」
「いやぁ、でも、感覚というか、気が合うとかは流石に大事でしょ。」

「なーにをいってんの。だいたい、一回会ったくらいで何がわかるの?試しに数回でもデートしてみるとかして、それで合わないなら考えるってしたらいいでしょ。」
「う、うん。まあね。」

「まったく!やる気ないのよユイは。やっぱり危機感が足りないわね。」
「えー、そう言わないでよ。一応真剣に考えてはいるんだから。」

「ほんとかなぁ…、まぁいいわ。約束通り今日のランチはおごりね!」
「え?約束?なにそれ?」

「忘れたの?今度の合コンでゲットできなかったらランチおごるって、約束したでしょ!」
「え?あ、そうだっけ?」

「まったく、やっぱ、、ポーッとして、人の話聞いてなかったでしょ。」
「あ、うん、そうかも。」

「ふぅ〜まぁいいわ。とにかく、ごちそうさま。」

やっぱり30歳を目前にしてることが、今のこの何とも言えない感覚をもたらしているのか、自分では意識をしていないつもりだけど、人の話が耳に入らずボーっっとしてしまったり、時々大声で叫びたくなるような感じに襲われるのは、自分で思っている以上に「30歳」にプレッシャーを感じているのだろうか。

そんな今の状況だが、私もこの年まで何もなかったわけではない。

20歳になった時、大学生だった私は初めてのアルバイトとして塾講師を始めた。

一応、ある程度名の通った大学に通っていたこともあり、また、元々英語の教師になりたいというような願望もあったので、向いていると思って始めた。

バイトは思いのほか順調で、中学生の生徒には結構慕われ、1年も経った頃には、ちょっとした人気講師になっていた。

その時、ちょうど、彼と知り合い、初めて

「男性とのお付き合い」

をした。

中学受験で女子校に入った私は中高とずっと女子の世界にいた。

もちろん、男子校との交流がなかったわけではないが、恋愛以外でけっこう充実した毎日を送っていたので、全然男子と付き合いたいなどという一般女子が思い描くような恋愛願望はほぼ皆無だった。

逆にいえば、男性への免疫がまったくなかったことも事実だ。

そのせいか、8歳も年上だった彼にいっぺんにのめり込み、彼以外のことが考えられなくなるほど、生活は彼との恋愛一色になった。

もちろん、「男女の関係」も彼が初めてだった。

だから、なおさらだったのかもしれないが、世界が彼中心になってしまった。

私にとって男=彼だったから、他の男の人のことはまるで考えられなかった。

だから、当然彼と「結婚する」と自分の中では決めていた。

でも違った。

彼と付き合い始めてから8年が経ち、私も28歳、彼は36歳になろうとしていた。

その春に私たちは突然別れた。

喧嘩をしたわけではない。お互いが嫌になったわけでもない。また、世間でよく言われるような「長すぎた春」という感じでもなかった。

強いて言うなら「お互いの環境が変わった。」ことが、要因だったかもしれない。

彼と別れる1年前、父が死んだ。

私は妹と母と父の4人家族だったから、彼と付き合うまでは唯一の身近にいた男性が父だった。

父は、粗暴な人だった。手こそ挙げなかったが、私や妹は何かと父から罵声を浴びせられ、理不尽なことも言われた。

特に思春期になってからは、よりその言動がひどくなり、妹と二人で一度だけだが「父を殺そうか」という話をするほど、父との関係は壊れていた。

ただ、そうしなかったのはやはり、母にはそんな父でも、大事なパートナーだったから、父のことを大事に考えていた。

また、父も母にだけはそういう罵詈雑言をいうことはなかった。

このような父以外に、他に男性を知らなかったから、父=男として思っていたので、その影響もあって男性に興味が起きなかった、いや、男が嫌いだったのかもしれない。

そんな父が彼と別れる2年前に「がん」であることが、わかった。

突然血を吐いて倒れ、病院に運び込まれ、検査をしたところ末期の胃がんだった。

父には「胃潰瘍」と伝え、最後までがんとは言わなかった。

父は、気が強いことをいうが、その内面は小心者だった。

がんと分かれば生きる気力を失って、余計に死期を早めるだろうと思い、あえて言わなかった。

それからちょうど1年、父は(おそらく)最後までがんとは知らずに亡くなった。

父の葬儀も終わり、四十九日も済んだ時、夜、独り部屋で父のことを思い出し、葬式でも流さなかった涙を初めて流した。

父への郷愁というより、人の命の儚さに、お腹のあたりにポッカリと大きな穴が空いたような感覚に襲われ、その空間から空気が押し出されるように込み上げてきて、涙が止まらなくなり、声を上げて泣いた。

そして、急に独りでいることが怖くなり、翌日彼にあった時、自分から「結婚」の話をした。

すると彼は、迷うことなく

「まだ、したくない。」

と一言でその話を終わらせた。

私もそのまま言葉が続かなかった。

そして、この一言で、

「この人とはもうやっていけない。」

という、気持ちが本能的に湧き出てきた。

一週間後、私から別れを切り出して、そのまま連絡を取らなくなった。

彼からは何度も電話やメール、家電にまで、連絡がきたが、一切返しもせず、話すことはなかった。

この話を同僚にした時

「8年も付き合ったのに、それはひどい、電話くらい出てあげなよ。」

と私の行動を否定された。

その時、

『この気持ちはおそらく(誰にも)理解されないのだろう』

と思った。

私からすれば、8年も付き合ったのにひどい仕打ちをしたのは彼の方だと思っている。

私があの時どんな気持ちで結婚のことを切り出したか、もし、彼が理解してくれていたなら、ああいう返事にはならなかったはずだ。

あの時、彼から「結婚しよう」という言葉を期待していたんじゃない。

一言でもいいから慰めて欲しかった。

黙っててもいいから私を抱きしめて欲しかった。

ただ、それだけだった。

8年も付き合ったのに、『その気持ち』がわかってもらえなかったことに私はショックを受け、絶対的な彼への信頼が、ボロボロと音を立てて崩れていった。

だから、ただのケンカのように、あやまってくれば許すというものではなかった。

父を亡くしたことから、感じた虚無感、彼を失ったことの喪失感(自ら下した決断とはいえ、やはりショックは大きかった)そして、私をもっとも苦しめたのは、父を失ったことでの母へのケアだった。

母は、父の入院中、それは献身的に世話をしていた。

毎日欠かさず病室に詰め、家族でも退出しなければならない時間(だいたい午後9時)まで、ずっと病室にいた。

父が亡くなって遺体が帰宅した時も、片時も離れずに、そばにいて、夜も一緒に寝るほどだった。

そして、私とは対象的に、毎日泣いた。

出棺の日まで泣かない日は一日もなかった。

荼毘に付されお骨になっても四十九日まで、そのそばを離れず、大袈裟でなく、母はお骨を抱いて寝ていた。

そして、納骨が近づくと私たちに

「やっぱり、お骨はお墓に入れないとダメかね。」

と本気で言っていて正直妹と二人でゾッとした。

しかし、それも無理のないことではあった。

ちょうど私と妹が父に反発をしていた思春期の頃、母に父の愚痴を言っていた時話してくれたのだが、父と母は本当に『大恋愛』だったらしく、しかし、両方の親からはすごい反対にあっていて、結局お互いに家を捨てて駆け落ちをして、今の住まいのあるこの八王子で暮らし始めたとのことだった。(その後、父の実家だけは許しが出たらしい)

ちょっとしたドラマのような話だが、本当に燃え上がるような恋をしたのだと、嬉しそうに母は語っていた。

母には父と二人だけでやってきたと思っていたのだろう。

その「支え」がなくなった(未だに母方の実家は駆け落ちのことを許していない。)のだから、そのショックは私が彼を失った比ではないだろう。

母にとって父は『すべて』だった。

納骨のあと、母は本当に気力を失い、食べるものもろくに摂らず、家から出ることもなく、父の仏壇の前で日がな一日を過ごしている状態だった。

私や妹も、もしかして後追い自殺をしてしまうのではないかと心配で、とにかく仕事が終わるとまっすぐ家へ帰った。

休日も外出をせず、母に付き添い、食事こそ摂ったが、とにかく母から目が離せなかった。

おかげで、こちらも日々ストレスがたまり、体重が急に増え、肌が荒れてボロボロになるほどだった。

数ヶ月して妹と

「このままでは家族共倒れになる」

と話して、『母の監視』は週替わりに行うようにした。

それでも、心配は尽きず、できるだけ家に早く帰りたいという思いもあり、友達との付き合いはもちろん、合コンなどにも誘われていたが、すべて断り、そのため、出会いなどまるで望めなかった。

そんな生活が1年も続いた頃、私は転勤になった。

私は総合職ではないので、転勤といっても自宅から通える範囲と決められていた。

しかし、それでも今までいた部署よりは通勤が遠く、プラス30分もかかり、往復の通勤だけで3時間も取られる状況になった。

また、仕事の内容は今までとさほど変わらなかったが、今までより人の少ない部署だったため、その分働く量は増え、残業も余儀無くされた。

この時ほど自分の運命を呪ったことはなかった。

そんな時だった。

上司というか、先輩というか、私よりは15歳は違う(当時40歳)男性社員と仕事上のペアになった。

ペアの仕事というのは簡単にいうとその相手の事務的な処理を行うもので、席も隣になり、当然、毎日話をして、時には遅くまで一緒に仕事をするようになった。

また、その人はいわゆるその部署では中心的に仕事をする人だったので、上司や仲間からの信頼も厚く、よく仕事もできた。

また、誰にでも分け隔てなく接し、しかし、後輩が間違ったことをすれば容赦無く叱り、でも、その後は必ずその後輩を飲みに誘うといった気配りのできる人だった。

だから、人間的にも魅力があった。
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