マイ・フェア・ダーリン
こっそり涙が溢れたのを、気づかれないようにティッシュで吸い取った。
廣瀬さんにとって一年でも特別な日である一月三日に、私を思い出してくれたこと、当時のインタビューでも聞けなかったその素直な言葉を聞けたことが、たまらなくうれしくて。

そっか。
本当に幸せなとき、廣瀬さんはあんな顔をするのか。

少し口を開けて引き締まった表情で、風をおこしながら走る姿を思い出していた。
何か切ないような満たされるような、甘い苦しさで胸がいっぱいになる。

「いいものですね、箱根駅伝」

『はい。走れただけで、俺は十分運がいいんですよ』

どこまでも、転がるように堕ちていく。
そのスピードは加速していく。
それでも私は、そっと涙をこぼすばかりで、固く口を結んでいた。

あなたが好きです。
あなたが好きです。

口を開いたら、この言葉しか出てこないから。

『あ、月だ』

廣瀬さんがそう言うから、カーテンを開けて曇った窓ガラスを手で拭うと、瑠璃紺の空に淡い黄色のお月様が浮かんでいた。

「本当だ……」

笑ったときの廣瀬さんの目みたいな、五日目くらいの月。
廣瀬さんが着ていたユニフォームみたいな空。

きっとこれは運命だ。
もし違うなら、本物の赤い糸なんて切ってしまおう。

冷え込んでいるのか、すぐに曇ってしまう窓ガラスを何度も拭きながら、廣瀬さんと同じ月を見続けた。
バスタブからお湯が溢れていることにも、しばらく気づかないままで。

日ごとに形を変える不実な月になど愛を誓うな、とシェイクスピアは言うけれど、それなら私はあの、いつも変わらない五日目のお月様に全力で恋をしたい。

廣瀬さんが好きです。
廣瀬さんが好きです。

目を閉じたら、瞼の裏にはもう廣瀬さんしか見えない。






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