たぶんこれを、初恋と呼ぶ

「……あの」


少しの沈黙の後、彼女から細い声が聞こえた。

そっと彼女の方を向くと、彼女は空になったスープの皿を見つめていた。


「安尾さんとは、多分これでしばらくお会いする事はなくなると思うので、少しだけ、いいですか」

「……は、はい」

「安尾さんのいいところは色々あるけど、一番は優しいところです」

「え?」


想定外の事を言われ、気の抜けた返事をしてしまった。

相変わらず彼女は、空のスープを見つめている。


「仕事中、ミスもフォローして頂いて、何度も私の事を気にかけて頂きました。私の体調の事も心配してくださって、……その度に私は、自分が情けなくなってしまって、やるせない気持ちになりました」

「……」

「もっと頑張らなきゃって、その度に思いました。昔から変わらず安尾さんは、分け隔てなく誰にでも優しくて。安尾さんの優しさに触れる度、私は泣きそうになります」

「……え?」

「……大人になっちゃえば、5つなんて年の差関係ないのにねえ」



ようやく、彼女がこちらを向いて目があった。


そして「安尾くん」と、昔のように俺の名前を呼んだ。



「忘れた事なんてないって言ったら嘘になるけど、彼氏ができた時、別れた時に、頭の中過るくらいには思い出してたよ」



眉を下げて、精一杯の笑顔を作って彼女は言った。



「初めてだったんだけどな」

「え?」

「安尾くんと付き合ってた時、私まだ誰ともした事なかったよ。安尾くんが初めての人になるんだなあって思ってた」

「っ」

「安尾くんも童貞卒業したんだね。おめでとう」




彼女は、俺の左手の薬指にそっと触れながら、そう言った。




そのまま彼女は店を出て、俺はただ呆然とカウンターに座ったまま。

左手の薬指の彼女が触れた感触だけが、ずっと残っていた。




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