もう一度〜あなたしか見えない〜
「なんとなく、かな。」


「えっ?」


ようやく聞こえて来た夫の言葉は意外だった。


「君の夫だから、君を愛していたから・・・わかった。」


その言葉を聞いた時の衝撃を、私はたぶん一生忘れられないだろう。そして次の瞬間、涙がどっどあふれて来た。泣いても泣いても、どうにも涙が止まらなかった。


私は本当に夫から愛されていたんだ。だけどその愛の深さ、尊さに気付かず、軽い気持ちで裏切って、省みることもなかった。後悔してもしきれない。戻れるなら、あの日に戻って、愚かな自分を殴ってでも引き留めたい。


涙が止まらず、泣きじゃくる私の頭を、夫は落ち着くまで、そっとなで続けてくれた。


そして本当に別れの時が来た。やっとの思いで私がサインした離婚届をカバンに納めると、夫は立ち上がった。これをこの足で夫が役所に提出すれば、私達は他人になるのだ。


「それじゃ。」


「うん。」


「身体に気を付けてな。」


「あなたも。」


そして夫は車に乗り込んだ。免許を持っていない私にとって、付き合っている頃から、夫の助手席は指定席だった。本当にいろんな所へ一緒に行った。夫はよほど疲れていない限り、私を助手席に乗せて、どこに行くことも厭わなかった。


でももう私がその席につくことは許されない。私が自ら、その資格を手放したんだ。私と彼の前に現れた夫が、指定席に私を呼び込むことなく、置き去りにして、走り去った時、今日の日が来ることはもう、避けることが出来ない決定事項だったのだ。


運転席から軽く手を挙げた夫は、まるでどこかへちょっと出掛けてくるような雰囲気で車をスタ-トさせた。でも夫はもう2度とここに帰って来ることはない。


走り去る夫の車を見えなくなるまで見送る私。
19歳で出会い、20歳で付き合い始め、25歳で多くの祝福を受けて、永遠の愛を誓い合ったはずの私達はわずか5年、30歳で決別の時を迎えることとなった。


そう言えば、今年のお正月、夫と話したことがあった。5年毎に節目を迎えて来た私達は、今年はどんな年になるんだろうという話題になった時


「マイホ-ムか子供を授かるか・・・っていうのはどう?」


「いいね、どっちもいい。できたら両方だな。」


夫の言葉に私は屈託なく笑った。その時、私は心に何の痛みも感じなかった。私は既に不倫をし、夫もそれを知っていたはずだ。悪びれもせず、笑う私に、夫は深い失望を覚えていたのだろう。だけど私は何も気づかなかった。


全てがマヒしてしまっていたんだろう。しかしもう時は戻らない。


私の目からは、また涙が流れ落ちて来ていた。
< 30 / 68 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop