初めまして、大好きな人



急に気持ち悪さが込み上げてきて、私は吐いた。


胃液だけが泡を纏って流れ出てくる。


そんな時、誰かがノックをして部屋に入ってきた。


「波留ちゃん!」


私の名前を、少ししわがれた声が呼ぶ。


すると背中に温かい感触が触った。


誰かが私の背中をさすっている。


顔を上げると、眼鏡をかけたおじさんが
私を見て心配そうに顔を歪めている。


咄嗟に自分の服の袖で私の口元を拭った。
吐瀉物で汚いのに、それを厭いもせずに。


おじさんは一度部屋から出ていくと
すぐに雑巾をもって戻ってきて、汚くなった床を拭いた。


そしてふぅっと息をつくと、私を見てにっこりと笑った。


「落ち着いたかい?」


ゆっくりと頷く。
するとおじさんは更に笑って、眼鏡をかけ直した。


このおじさんは誰?
ああ、そういえばノートに書いてあった。
この人は「施設長」という人だろう。


施設長は私の向かい側に座ると、
私の肩に手を置いて口を開いた。


「波留ちゃん、ノートは読んだかい?」


ゆっくり頷く。


「そうか。そこに書いてある通り、
 波留ちゃんは今、前向性健忘という病気にかかっている。
 治るかどうかは分からないが、
 生活に支障が出ないようには出来るんだ。
 それはこのノートに事細かに、
 今日起きた出来事を書いていく。それしかない。
 だけどそれだけで、君は普通の人と
 なんら変わらない生活が出来るんだよ」


施設長はノートを指し示してそう言った。


私は顔を上げてパクパクと口を開閉させた。


すると施設長は悲しそうな顔をして笑った。


「波留ちゃんのお父さんとお母さんは、
 亡くなってしまったけど、
 これからはここが波留ちゃんの家だ。
 私が、君の親代わりだ。
 なんでも言って、好きに生きるんだよ。
 何一つ不自由のない生活を約束しよう」


不自由のない生活。


この人が言う不自由のない生活って何?
私は、
そんな深刻な病気を患った私は
十分不自由ではないのだろうか。


親代わりだと言ってくれたことに安心を覚えるも、
その反面、少しのいら立ちも交えていた。
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