雨が降り止むまででいいから
雨が降り止むまででいいから


くちゅり。
キスの合間を埋めるように水音が薄暗い部屋に響いて、は、と口から熱い息を漏らした。

情事を思わせる汗で湿った体を引き寄せ、滑らかな素肌を指先で軽くなぞる。

合わさった熱から、時折漏れる声。

「・・・っ、ふ。」

「・・・。」

「んんっ・・・。」

噛み付くように絡めていた唇を離して、最後にペロリと舐める。
たったそれだけの事で腕の中に閉じ込めていた体がビクリと震えた。

壊したくなるような愛おしさが溢れ出す前に、彼女ーーーハクは嫌そうに眉をひそめて俺の肩を軽く押す。

「ちょっと、いきなりキスしていいのはイケメンだけよ。それも好みの。」

「はは、じゃあ何も問題ねえな。」

調子に乗ってまた顔を近づけるが、パシッと頭を叩いた手に興を削がれる。

「何だよ。つーか、今更だろ?」

「別にそれ以外ならいいけど、キスは嫌い。」

「相変わらず変なヤツ。」

「その変な奴を飽きもせず抱いてるのは誰よ。」

「俺だな。」

何だか面白くなってくつくつ笑う俺を、彼女は呆れ顔で眺めていた。
やがて溜息を一つ吐くと、するりとベッドから音もなく降り立つ。俺の手の中から、長い黒髪がすり抜けるように零れ落ちた。

猫みたいな仕草だ。そう言えば警戒心の強いところも似ている。
ふらっと訪れてふらっと消えていく様は、さながら気まぐれな野良猫だな。

俺はベッドの上から問いかける。

「もう帰るのか?」

「用は済んだからね。明日も仕事があるのよ。」

「ったく、お前には情緒ってもんがないのか。というか仕事っていってもギャンブルじゃねえかよ。」

「お金を頭で稼ぐ仕事。明日は勝てる気がするの。」

下着をつけながら肩越しに笑う表情は、ひどく楽しげだ。いつもどうでも良さそうな顔をしてる癖に、ギャンブラーだった父から教わったというイカサマ術を使うときだけハクの目には光が宿る。

好戦的で、それでいて冷静な。
それは、冴え冴えとした一振りの剣みたいな。
ギラギラとした殺意的な瞳は確かに彼女の武器なんだろう。

どうやら、彼女は少し前に大敗を期したというのに、全く懲りていないらしい。
依存症とは違う、異常なまでの執念が見え隠れしている。何が目的なのか、何を望んでいるのか。

考えたって付き合いの浅い、そしてロクでもない付き合いの俺に分かる筈もない。
馬鹿らしくなって、そばのチェストに置いてあったタバコを手に取る。慣れた動作で火をつけると、ゆっくり吸い込んだ。

こちらは本当の依存症であり、脳に苦い煙が染み渡る。
昔はただ不味いだけだと思っていたのに、今ではすっかりその有毒物質の虜なのだから娯楽品とは恐ろしい。

ふぅー、っと息を吐き出しながら、ハクの背中を眺める。
滑らかで白く、それでいて細かい傷が付いた肌。
どれだけ頼んでも跡をつけさせてくれないというのに、俺以外が刻んだものだと思うと酷く苛つく。

「・・・負けたらすぐ連絡してこいよ。ある程度の金なら払える。」

「あら、優しいのね。」

「まぁな。またあんな状態の人間を拾うなんて、次のやつが可哀想だろ?」

もっとも、次のやつを作る気なんかさらさらないが。
この少女の声は、濡れた瞳、赤みが差す頬、溶けそうなほどの熱は、俺だけ知っていればいい。

その全てに溺れた、俺だけが。


***


ハクと会ったのは、数ヶ月前のこと。
偶然訪れた賭博場の、裏口に近いゴミ捨て場で見つけた。

着ていたワンピースはドロドロに汚れところどころ破れていて、細すぎる体にも生々しい傷跡が目立つ。何度も殴られたのか頬は腫れているし、唇は切れて血が滲んでいた。

四肢を投げ出すようにして倒れていた彼女は、立ち止まった俺に気付いたのかゆっくり目を開いた。

そして、俺を映した瞳を見て、思わず息を飲んだ。

その日俺がいた町では、ギャンブルに負けて放り出された人間は珍しくない。何度か見たことあるし、しかし一度も助けたことはなかった。

そうゆう人間は、たいてい瞳には虚無が広がっているだけだった。
全てを失って、世界から隔絶されたような、そんな空白。

だが、その少女の瞳は、眩しすぎるくらいの光が溢れていた。

全身ボロボロだというのに、凛とした黒色からはまだ意志が死んでない。
滅多にお目にかかれない美しい黒曜石の輝きに呑まれて、気づけば俺は彼女に手を差し出していた。

一人で住むには広すぎる家に連れて帰って、彼女の怪我の手当てをしてる最中。
俺は少女にいくつか質問をした。
最初は仏頂面で黙っていたものの、流石に悪いと思ったのかやがてポツリポツリと返答を返してくる。

名前がハクであること、年は19だが大学には行っていないこと。
ギャンブラーで、そこそこ腕はいいらしい。
家はなくて、だいたいがホテルかネットカフェが活動拠点。

ハクは俺に尋ねた。

ーーなんで私を助けたの?

何故、か。
それは俺にも分からなかった。

ただその黒曜石を、光の宿る瞳を、他の誰にも見せたくないと。
そう思ったことだけは確かな事実だ。

ーーなんでだろうな。

そう言って俺は、少女の肩を優しく押した。
ソファに沈み込んだハクは、抵抗しなかった。

ただ、「やっぱり」とでも言うように目を閉じて。

最初からそのつもりで連れて来たわけじゃない。
だけど、なんだか酷く抗い辛い引力に捕まったみたいに、抱きたい、と思ってしまったのだ。

無知な少女に、キスの仕方から教えて。
堅く閉じた体を少しずつ、少しずつ慣らして。
快楽を叩き込むように、俺を刻み込むように、何度も何度も奥を暴いて。

強く、それはとても強い感情に突き動かされるように。
少女を離せなくて、何度も、何度も。

火傷しそうな熱に溺れた夜が明けた時、ハクは隣にいなかった。

心が空っぽになったみたいな喪失感が苦しいほどに胸を締め付けて、嘲笑うように朝日から現実を突きつけられた気がした。

実は夢だったのでは、なんて疑っていたのだが、数日後ハクは片手にウイスキーボトルを引っ提げてまた俺の前に現れた。
存外あっさりしていた再会から、俺たちの関係は始まる。

本人は家がないから泊めて、なんて言ってくるけど、その割に明け方より前には家を出て行く。
かといって俺に抱かれるために来ているようには思えない。

俺はハクがよく分からなかった。

例えば彼女は、物事に対し基本的に無関心なのだと思う。
よく行くという賭博場では常に一人でいるし、途中乱闘騒ぎが起こっても興味を示さなかった。

でも、俺と出会った時は、悪質なイカサマの所為で無一文になった男を助けたせいだと言っていた。
連続して勝ち続け金を全て返した後、最後にワザと盛大に負ける。そうすれば、印象に残るのは自分の方だから、と。

その結果持ち金全部を失っても、傷だらけになったとしても、どうでもいいのだと言っていた。

俺の家に来た時だって、泊まりたくないのかと思えば、そうゆうわけでもないらしい。
一度ハクを気絶させるほど抱き潰して、そのせいで昼前まで寝ていたことがあったが、起きた時は特に気にせず帰っていった。

掴み所がないのだと思う。
というか、掴む隙を与えない、の方が正しい。

それに、彼女にはきっと、「何か」がある。
ハク自身を動かす原動力となりうるだけの、何か過去が。

おそらく、「師としては尊敬できるが親としてはクズ」と称していた父親や、何も話そうとしない母親のことに関係しているものだと思う。

何があるのか、知りたいし助けになりたい。
だが、それを聞いてしまったが最後、ハクはもう俺の前には現れないだろう、という確信がある。

言いたいことを飲み込んで、聞きたいことを無かったものとして。
そんな無関心を装った果てに、やっとこの歪な関係が結ばれていた。

いっそのこと、ただ一夜の夢なら良かったのに。
古びた記憶に埋もれて、いつか喪失を忘れゆく夢ならば。

でも、もう遅い。
俺はハクを知ってしまった。
彼女の瞳を、熱を、取り返しのつかないくらい、深く。

これはきっと、消えない傷跡のように醜い執着だ。

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