名もなき箱庭
 

「祐穂」


 おはようや笑い声の行き交う朝の通学時間が苦手だ。

 笑えないバラエティ番組、流行りの音楽サイト、他校のイケメン、誰かの恋話。雑踏の中耳を抜ける聞きたくもない話に耳を費やすのが嫌で、だからイヤホンで世界を遮蔽する術を覚えた。

 ただし無音だ。私は音楽を聴かない。これは耳栓と人避け。


「祐ー穂っ」


 がばり、と後ろから抱きつかれて前のめりになる。

 その際片割れのイヤホンが外れて、右肩に顔を埋めたその子の声が吹き込まれた。視界に映る一筋の金髪に、私は視線を伏せる。


「おはよ、仁乃」

「おはーっす。ちょ、てかめっちゃ呼んだのに気付かないとか祐穂、ひどい」

「ごめん。イヤホンしてて気付かなかった」

「まじかーっ。なんの曲聴いてたん」

「秘密」

「ぅやん。にのの愛しきゆほ、今日もかーわーいーいー♡ いでっ」


 公衆の面前だというのに後ろからぎゅーっと羽交い締めにされて、朝っぱらから校門の前でぽこりと仁乃の頭を打つ。
 それでそんな声を漏らした彼女は、頭の後ろで組んだ手に学生鞄をぶら下げて、にしし、と悪戯に笑った。









 恋をしている。

 生まれたときから、物心がついたときから知っている幼馴染みの彼に。小柄で、無口で、勉強ばかりが取り柄の蒼真は、その女の子みたいな容姿からいじめっ子の格好の餌食になることが多く、それを囲うのがかねてより私の役目とも言えた。

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