【完】絶えうるなら、琥珀の隙間
――――ぱしゃん。
唐突に引き寄せられ、翠が持つ器から酒が勢いよく跳ねた。

飛び出た酒は結構の量だったらしく、翠の服を大きく濡らす。

「すまない、零れてしまった」

翠は濡れてしまった服を軽く絞りながら「代わりの酒が要るな……」と呟いた。

「……弥依彦殿、宜しければ私の国から持ってきた『特別な酒』をお出ししても構わないだろうか?」

その申し出に、興味を注がれたらしい弥依彦はいち早く反応した。

「特別な酒?良いぞ、持ってこい!」

翠は頷くと、カヤの右隣に座るタケルに視線を向けた。

「タケル。例の酒を持ってきてはくれぬか」

「あ……ああ、はい、承知致しました」

唐突に声を掛けられて驚いたらしいタケルは、慌てた様子で立ち上がり広間を出て行った。


『特別な酒』とは一体なんの事だろうか。
そんなもの、翠のお世話役になってからも一度も聞いた事が無い。

もしかして目ん玉が飛び出るくらい高価なのか?
それとも吃驚するくらい美味しいのか?


「翠様、持って参りました」

やがて戻ってきたタケルが手にしていたのは、ひょうたん型の小さな器だった。

「これが特別な酒か!さっそく呑むぞ!」

急いたように弥依彦が言った時だった。

「翠様、申し訳ありませんが……」

宴が始まってから一度も口を開いていなかったハヤセミが、横から口を挟んだ。

「どうなされた?」

「弥依彦様が口する物は、必ず毒見を行う事になっております。恐縮ではございますが、そちらのお酒も毒見を行わせて頂いてもよろしいでしょうか」

確かにカヤがこの国に居た時から、その通例はあった。

とは言え、この砦に入ってくる食物のほとんどは信頼出来る筋からしか調達していない。
そのため、毒見が役立った機会はそうそう無かったらしいが。

ハヤセミの言葉に、翠は顎に手を当てて首を傾げた。

「そうなのか。そうしたいのは山々なのだが、困ったな」

「困ったと言いますと……?」

「この酒は、我が国に伝わる婚礼用の神酒なのだよ。非常に貴重なもので、数十年かけてこれほどの量しか作りだせない」

翠は、手の中の器を揺らしながら言う。

ちゃぽん、と聞こえた音から察するに、小さな器の中にはほんの微量の酒しか入っていないようだった。
気前よく配る程の量では無さそうだ。


「ほんの一口で構わないのです」

低姿勢に言うハヤセミに、翠は小さく首を振った。

「いや、量の問題では無いのだよ」

そう言って、翠は蓋を開けて中身を全て器に注いだ。
遠目から見た感じだが、特に普通の酒と見た目は変わらない。

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