危ナイ隣人
 えー、皆さんこんにちは。御山茜(18)です。私は今、お付き合いしている真木直也さんが住む403号室の前で、かれこれ10分ほど固まっております。
「……ふぅ」
 深呼吸をして、ドアノブに手をかける……も、また下ろしてしまう。こんなことを、何度繰り返したことやら。
 でもだって、しょうがないじゃん! 緊張するんだもん!
 今日はいつもと違う。いつも通り、気楽には入れない。
『お前が制服を着ている間は、何があってもそのラインは越えられない』
『頼むから、早く高校卒業してくれ』
 ナオくんから言われた言葉達。未だにガキって言われるけど、その意味がわからないほど子どもじゃない。そして、今日は卒業式だった。
 私の勘違いに始まったあの一件があってから、何となく覚悟は決めたつもりだったけど……いざ卒業式を終えてみると、私の覚悟なんてものは豆腐並みにやわやわだったと思い知るわけです。
 今日のこと、ナオくんは何も言わなかった。朝イチ、たぶん勤務を終えてすぐに卒業おめでとうとメッセージをくれたくらいで、一昨日会った時も、特に約束を取り決めたわけじゃなかった。でも、卒業式が終わった後、真帆達と一頻り別れを惜しんで夕方頃帰宅して……ナオくんの家に行かない理由は、いくら探しても見当たらない。あ、いや、行きたくないわけじゃないんだよ! けして!
「……えいっ」
 ぐるぐる悩んでても埒があかない。勢いに身を任せて、私はドアノブを引いた。──が、扉は何かが引っかかったように開かない。
 ……って、そりゃそうじゃん! 私、扉の前で百面相してただけで、鍵開けてないじゃん! どれだけ緊張してんだか……と自分に呆れながら、今度こそ合鍵で開錠して、扉を開けた。
 玄関の電気が消えた403号室の廊下には、リビングの磨りガラスから、僅かな灯りだけが漏れていた。微かにテレビの音も聞こえるから……在宅なのは確かだろう。
 普段以上に丁寧に靴を揃え、私は恐る恐る廊下を歩く。ひとつ大きく深呼吸してからリビングの扉を開くと、
「お。お疲れ」
ソファーに寝そべってテレビを見ていたナオくんが、視線をこちらに投げた。目が合っただけで、もう心臓爆発しそうなんですけど。
 リビングの前に突っ立っていると、ナオくんがのそのそと起き上がる。その表情は、いつもと何ら変わりない。いつも通り、オフのゆるゆるナオくんだ。その様子を見て、少しだけ緊張が和らぐ。
「やっと卒業したか」
「これで、もうコドモ扱い出来ないね」
「それはどうだろーな」
 不敵な笑みを浮かべて、ナオくんがそんなことを言った。いつもの、オトナの余裕を感じさせる顔だ。緊張の隙間に、僅かな悔しさが湧き上がってくる。
「飯、食った?」
「まだ。こっちで食べようと思って」
「あんま食材ねーぞ? ウー●ーでもすっか?」
「あれ高いじゃん。あり合わせで適当に作るよ」
「主婦か」
 クッとナオくんの喉が鳴らされる。ソファーに座るナオくんの元へは向かわず、私はキッチンへと直行した。……不自然だったかな。
 内心ドキドキしている私を気にする素振りも見せず、リビングから声がかかる。
「悪いな、今日どこも予約してなくて。卒業祝いに、またちゃんとしたとこ食べに行こうな」
「叙●苑?」
「最近の若いやつは、すぐそうやって足元見る」
 最近の若いやつはって。あんたもまだ25歳でしょーが。
「冗談だよ」
「それこそ冗談。社会人の甲斐性見せねーとな。お前が望むなら、夜景の見えるレストランでも何でも連れてってやるよ」
 キッチンにいるから、ナオくんの顔は見えない。それでも、シンクに視線を落としたまま顔を上げられないのは……熱が顔に集中している自覚があるから。
 ずるいよ。何でもないことのように私がトクベツだって伝えてくるの、ほんとずるい。慣れてない私は、簡単に胸打たれちゃうんだから。
「じゃあ、白スーツでエスコートしてね」
「任せろ。バラの花束抱えて迎えに行く」
「それは恥ずかしいかな」
「なんでだよ」

 冷蔵庫にある食材で何とか作り上げたのは、天津飯。2人で綺麗に平らげて、手持ち無沙汰になるのが嫌でナオくんから奪ったお皿洗いを終えてから、逃げるようにトイレに駆け込んだ。少しの時間を稼いでからリビングに戻ろうと扉を開けたところで、私の足は再び棒になった。リビングに入るなり固まってしまったのは、ご飯中は解けていた緊張が戻ってきたから。
「……っ」
 変に意識してるって思われたくない。けど、平然とするのは無理……っ。
 1人でぐるぐる考えていると、徐にナオくんがこちらに振り向いた。それからまた、片方の口角だけが持ち上げられる。
「緊張しすぎ。ずっとガチガチじゃねーか」
「だ、だって……」
「俺のせいだよな。プレッシャーかけちまってたし」
 ナオくんが半身だけこちらを向く。その横顔は、むかつくほどに綺麗だ。
「でも今日は、俺自身でブレーキかけるのは無理だ」
「っ!」
「嫌なら、今すぐ逃げてくれ。そしたら、明日にはまたブレーキ直しとくから」
 胸がぎゅうっと締め付けられる。ナオくんがこんなふうに言うなんて。
 少しの間を空けた後、突っ立ったままの私の目を、ナオくんの漆黒の瞳が捉えた。あぁ、まるで狼に見つかったウサギのよう。
「でももし覚悟があるなら、こっち来い」
「こっち来いって……そっちからは来てくれないわけ?」
 私ってば、ほんとバカ。この期に及んで可愛くない反応。なんで素直になれないかな。ナオくんから攻められたら天邪鬼になっちゃうの、なんでなの。
 私の返答を聞いたナオくんは、それまでのオトナの笑みを少しだけ崩した。眉が僅かに下げられる。
「……俺から行けるわけないだろ。これでも結構ビビってんだぞ」
 左手で顔を覆い、ナオくんが力なく言う。何それ。何それ何それ……!
「そっちは初めてじゃないくせに……」
「当たり前だろ。俺を誰だと思ってんだ」
「うっわ最低! 仮にも彼女に言うこと!?」
「仕方ないだろ。つか、これだけ年齢離れてんだから当たり前だろうが」
「それはそう、だけど……」
 過去に嫉妬してるわけじゃない。むしろ、ナオくんみたいな人が経験ないほうがおかしいし。今は私だけを大事にしてくれてるって、ちゃんとわかってる。頭ではわかってるんだよ。なのに、乙女心だけがちょっとうるさい。
「…………」
 黙り込んでしまった私を見て、ナオくんが深い溜め息を吐いた。瞬間、ビクッと肩が跳ねる。どうしよう、コドモだって呆れられちゃったのかな。
 怯えた私の耳に届いたのは、予想外の言葉だった。
「怖くて自分から行けないなんて、こんなの初めてだよ。……わかれよバカ」
「え……」
 弾かれたように顔を上げると、耳まで赤く染めたナオくんと目が合う。眉間に皺を寄せて、苦々しそうな顔をして。普段お調子者のナオくんがこんな顔をするのは……本当に恥ずかしいと思いながらも、本音を言葉にしてくれる時だ。
 あぁ、もう──好き。どうしたって、私はこの人が好きだ。与え得る限りの愛をくれるこの人を、私も同じように愛していたい。
「バカって言う方がバカなんだよ」
「そんな小学生みたいなこと、今言う?」
「だって。そんなふうに言われたら、逃げられるわけないじゃんか」
 足にかかっていた魔法はもう解けた。一歩一歩踏み締めるようにして、ナオくんの元へと歩いていく。たった2メートルと少しの距離が、長くも短くも感じられた。
 やがてソファーの前に辿り着く。それから、ゆっくりと伸ばされたナオくんの腕に、私は迷いなく飛び込んだ。



【Happy forever】



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