青いチェリーは熟れることを知らない①
 一足先に入った鳥居が数分して玄関の扉を開けてくれた。

「どーぞ」

 上着を脱いで出迎えた鳥居はネクタイを外し、ラフになった首元からは綺麗な鎖骨がちらりと覗いでいる。

「おっじゃましまーっす! すっごー! 立派な内装だねぇ!」

 まるで新居へ内覧に来たOLのようにあちこち歩き回る長谷川が寝室と思しき扉へと手を掛けた。すると、横から伸びた長い手がそれを制して――

「追い出しますよ」

「えーっ! いいじゃん~! 鳥居っちのことだからどこもかしこも片付いてんでしょー?」

「…………」

(長谷川さんがそう言うってことは、あいつのデスクいつも綺麗なんだろうな……)

 同じフロアで働いているものの、ちえりは鳥居の元を訪ねたことがなかったためデスクがどういう状態なのかはまではわからない。それでもなんとなく想像できてしまうのは、鳥居の部屋に足を踏み入れたことがあるちえりだからだろう。当人を見る限り微笑ましいとは言えない光景だったが、底抜けに明るい長谷川の言葉はいつも悪気がなく見ていて清々しく、本音で言い合うふたりを見ていると少し心が軽くなった気がする。

(……しかし、デスクも知らない男の部屋に泊まるなんて……色々なんていうか、順番が違うような……)

(ううんっっ!! チェリーも居たしっ! ふたりっきりじゃない。三人っきりだべ! うん。やましいことなんてなにも…………? ん? そういえばチェリー……?)

 いつも大歓迎! とばかりに出迎えてくれたキリリと凛々しいあの愛しい子の姿が見えない。リビングに居るのかと先を歩く瑞貴の後ろをついていく。

「…………」

(……あれ?)

 窓の傍にあったはずのケージがなくなっていたが、やけに空間のあいたそこがチェリーの存在感をしっかりと残している。
 
「ちえり、鍋の準備手伝ってくれる?」

 上着を脱いでネクタイを外した瑞貴は、ワイシャツの袖のボタンを外しながら腕まくりをしてこちらに声を掛けてきた。露出された肌の割合が少し増えるだけで、こんなにも色気が増す男が他にいるだろうか? いつもながら即ノックダウンのちえりだったが、愛らしいブルーの瞳のチェリーのことが頭から離れない。

「う、うん……」

(まさかこの短時間で預けに行ったわけないし……瑞貴センパイもいるし、聞くに聞けない……)

「……そこになんかあった?」

 部屋の一角で茫然と立ち尽くし、心の入っていない曖昧な返事に瑞貴の疑いの眼差しが向けられる。

「あ……い、いえ……。同じ部屋なのに家具が違うと随分印象違うなって……思って……」
 
 まさか自分たちが押しかけてしまったせいで、居場所を追われてしまったのだとしたら可哀そうなことをしてしまった。
 ちえりがそうだったように、大事な愛犬をどうにかしてまで他人を家に招いたりはしない。そんなことをしたら愛犬に申し訳なくて悲しくて……きっと自分が許せなくなってしまう。

(あいつがわんこチェリーを大切に想ってないわけがない……。どうしよう……あいつにもチェリーにも悪いことしちゃった……)

 やや離れた場所ではまだ言い合っている鳥居と長谷川がおり、台所では三浦が野菜を洗い始めている。
 やけに皆を遠くに感じながら一時上向きとなった心が再び重くのしかかってくる。

「……センパイ、お鍋食べたら……なるべく早く帰りたいです」

 ちえりは鳥居とチェリーへの申し訳なさからそんな言葉がこぼれるも、瑞貴は嬉しそうに頷いた。

「もし、あいつら撒けなかったら今夜は他に泊まろうかと思ってる」

 顔を寄せてお互いの前髪が触れそうな距離で囁く瑞貴に、ハッとしたちえりは申し訳なさそうに声を潜める。

「いざとなったら私が皆を引き留めますから、その間にセンパイは部屋へ戻ってください」

(センパイは自分の家なんだから……外に泊まるのは私のほうだべ!!)

 思わず瑞貴のワイシャツを掴みそうになった自分の手を握りしめていると、瑞貴の手が優しく重なった。

「俺が宿をとるときはチェリーも一緒に連れていく」

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