偶然でも運命でもない
34.初恋
「響子はさ、いつまでも独身でそれでいいの?」
「べつに。今、困ってないし。子供が欲しいわけでも結婚願望あるわけでもないし。」
「いいなー。そこまで割り切れたら楽だよねぇ。」
菜々は「あとは親かー。」と、大袈裟に溜息をついてグラスに手を伸ばす。
響子の部屋、買い込んだワインを二人で飲みながら、絨毯に転がってくだらない話をする。
支社への数日の出張で久々に関東に返ってきた同期の菜々は、本社勤務だ。彼女は実家で結婚しろと散々言われているらしい。
もうすぐ日付けが変わる。菜々は、今日はもう帰る気もないのだろう。明日は休みだし別に構わない、と思う。
「大体、相手が居ないんだから。するもしないも、ないじゃない?結婚なんて。」
「わ。羨ましいわ、響子のその余裕。」
「余裕じゃなくて、事実。……余裕は……あんまり、ないかも。」
珍しい……そう呟いて、菜々は手にしていたグラスをテーブルに置いた。
「どうしたの?響子らしくない。」
「相手が手の届かない存在だったら、どうしたらいいんだろうね。」
「え。……今度は誰?どのグループ?まさか、いまだに秀くんだとか言わないよね。」
心配して損したと言わんばかりの菜々の言葉に、響子は思わず吹き出す。
「待って、アイドルじゃない。S☆Sからは5年前に足を洗ったから。」
確かに若い頃はオタクと言われる程度に追いかけていたけれど、今は本棚の一角にその痕跡が残る程度だ。
「じゃあ、響子の手の届かない存在って、何?」
問われて、思わず目を逸らす。
「どう頑張っても、今すぐに結婚出来るような相手じゃないの。」

いくら親しい友人とはいえ、菜々に、大河のことは話せない。
ましてや、片思いの、その相手が高校生とは言えない。
「まさか、相手、既婚じゃないよね?」
「違うよ。不倫はしない主義。そもそも、相手が居ないって言ってるじゃない。」
「響子、矛盾してるよ。」
「わかってる、わかってるよ。ただ、私は、結婚なんて出来なくても今が楽しいからいいの。」
「本当は居るんでしょ、彼氏?」
「居ないよ。居たとしても彼氏じゃないし、手の届かない場所に居る。それでそのまま、どこか遠くの私の知らないところに行くの。」
「知らないところ?まるで、これから何かあるみたいなこと言うのね。」
図星を突かれて、響子は返答に困る。
きっと菜々のいう“何かある”は出会いのことで、現実に待っているのは卒業してここを離れる大河との別れだけれど。
「どんな人?響子がそんなこと言う相手、初めてじゃない?」
「え、そう?」
「うん、響子、昔から彼氏いても、そういう感じじゃなかったじゃない。」
「どういう感じ?」
「彼は彼、私は私って。一緒に生きていけるかと、愛と恋は別って。超冷めてた。」
「うん。」
「今は、なんか、恋する乙女みたい。」
「ねえ、菜々。私達、乙女って歳じゃないでしょ。」
「そうよね、親に行き遅れを心配されるくらいだもんね。」
私が自分で乙女とか言える歳だったらいいのに。そうしたら、こんなに迷うことはなかっただろう。
「でもね、相手の気持ちだってわからないし、別に、付き合う気もないの。結婚したいとかも思わないし。それは、本当に。」
「うん。」
「ただ、ちょっと会いたいって思ったり、この時間が終わらなければいいなって思うことがあるだけ。それだけなんだけど。」
「それを恋って言うのよ、世間では。」
「じゃあ、これは初恋なのかな。処女でもないし、行き遅れババアだけど。こんなふうに思うのは初めて。」
「響子、歴代の彼氏達が泣くよ?今の聞いたら。」
「どこで?自分を振った相手が行き遅れババアなところ?」
「違うよ!そういうところだよ。」
ひゃーと、声を上げて笑う菜々の言葉に、つられて響子も笑う。
菜々は笑いながら、グラスを空にして立ち上がった。
「お腹すいちゃった。ラーメン食べに行かない?」
「いいね。こんな時間に開いてるラーメン屋さんあるかな?」
「そこのコンビニでカップ麺買ってくる?」
「それいい!そうしよ。」
上着を羽織りポケットに財布を突っ込んで、ふと、大河の言葉を思い出す。
「菜々は、ラーメンて、醤油とか塩とかで選ぶよね?」
「うん。あたしは醤油。」
「豚骨とか鶏ガラとか、出汁じゃなくて、味付けだよね。」
「そうだけど、何で?」
「今ってね、出汁でお店選ぶんだって。」
「なにそれ。」
「先に出汁だって。味付けは後から選べるからって。」
「なにそれ。」
菜々はもう一度そう言って、響子を振り返った。
「わかんない。若い子が言ってたの。」
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