偶然でも運命でもない
8.ラーメン
「あ、大河くん。」
学校帰り、駅のホームで電車を待っていたら、ふいに名前を呼ばれた。
広げた単語帳から顔を上げなくても、響子がすぐ横に並んで立ち止まるのが視界に入ってくる。
彼女はこちらを見上げて微笑む。
「おつかれさま。」
「おつかれさま。」
単語帳を閉じてポケットにしまうと、大河は伸びをした。
彼女は「今日はネクタイしてるんだね。」と、俺の首元に視線を寄越す。
「うん。今日、寒いし。」
「寒いとネクタイなの?」
「いつもは学校出る前に外してるんだけど。」
「なるほど。……あ、そうだ。大河くんは、ラーメン好き?」
「ラーメン?まあ、多分。人並みには。」
「一人で外食すること、ある?」
外食……そういえば、一人で店に入ることってないな。あっても、駅前のファーストフードで待ち合わせする時くらい。
そもそもそんなに外食をすることがない。
「ないなぁ。響子さんは?」
「私は、気になったらどこでも行っちゃう。一人で。」
「なんかわかる。」
響子さんなら、一人でどんな店にでも入るだろう。
それは簡単に想像出来る。
「この辺に、美味しいラーメン屋さん知らない?」
ラーメン屋。すぐに思い浮かんだのは2店舗。
駅前で豚骨と言ったら、あの店だ。内装を黒と赤で統一した、有名店がある。
あっさりした鶏ガラが好きなら、神社の横の小さなお店。食事時の行列には女の人の姿も多い。
響子さんなら、鶏ガラの方が好きだろうか?…いや、案外、脂と野菜盛りだくさんのやつかも…?
「うーん……響子さんの言うラーメンて、例えば、どんなの?」
「えっ?……んー、例えば……」
響子は、真剣な顔をして、ラーメンのことを考え始める。
軽く組んだ腕。顎を触る指先。
その姿は、ドラマの探偵みたいだ。
彼女の好みは、鳥か…豚か…それとも魚介系なのか…?
「あー。例えばね、お店の入り口に券売機があるでしょ?あれはちょっと苦手。直接注文するシステムがいい。あと、店員さんが、黒いTシャツ着て腕組んでる看板のやつ。あれも苦手。」
彼女は真面目な顔で、「ラーメン屋って何で、お店の名前が筆文字で入った黒いTシャツにバンダナなんだろうね。」と、こちらを見上げる。
「ねえ、何でだと思う?」
その眼差しは真剣そのものだ。
いや、それ、ラーメンあんまり関係ないでしょ……。
それが可笑しくて、大河はついつい笑ってしまう。
「知らないよ。汚れが目立たないからとか?」
「なるほど。」
「そうじゃなくて、響子さんが食べたいラーメンって何ラーメンなの?スープは豚骨とか鶏ガラとか、魚介とか。」
「えっ?ダシの話なの?味噌とか醤油とかじゃなくて?」
「それ、選べません?基本のスープがあって、そこに塩とか醤油とか味噌とか。」
「今って、そうなの?私、あんまりラーメン食べに行くことなくて。」
「じゃあ、何で突然?」
「さっき、会社でね『鈴木さんはラーメンとか食べなさそう』って言われて。」
確かに。知り合う前の彼女は、ラーメンとか食べなさそうだった。
真っ直ぐに窓の外を見る立ち姿から、ラーメンは想像つかない。
「それで、なんか悔しくて。」
「……響子さんは何食べてても響子さんだよ。」
きっと響子さんは、その誰かのイメージを裏切りたいんだろう。なんとなくそう考えて、そんな彼女を可愛いと思う。
「一緒に、行きます?ラーメン食いに。」
「ううん。行かない。よく考えたら私、そんなにラーメンが食べたいわけじゃない。」
「えぇー。」
ホームに滑り込んできた電車に並んで乗って、ドアの横に立つ。
響子は、窓の外を眺めながら小さく呟く。
「何食べてても私は私。」
「うん。そうだよ。」
まるで、何かイタズラをする子供みたいに、顔を見合わせると声を立てずに笑い合う。
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