花のOLは寿退社が希望です~フレグランスは恋の媚薬

7、人たらしっていわれるんですが何か?

写真よりも、二階堂清隆は驚くほどイケメンだった。

金髪の美人と何やら話しながら出てきた彼は、切れ長の目を少し見開かせて、迎えにきた神野紗良を見る。

長時間のフライトにより少しやつれた感じがあるが、それを差し引いてもイケメンである。

「はじめまして。A社の神野です」

紗良は挨拶をするが、彼はその返事にたっぷり間を取った。
何か不都合なことがあったのかと、紗良は不安になるぐらいの間である。

「はじめまして」
心地良く響く低く深い声がようやく答えたと思ったら、彼は距離を詰める。
ちゅっちゅっ、と紗良の耳元でキスをした。
驚いて顔をこわばらせ身を引く紗良を見て、二階堂清隆は謝った。

「ああ、ごめん。すっかりフランス式になってしまっている。日本ではハグしないんだったな」

金髪の女とは笑顔で別れる。
その女とは隣の席ですっかり意気投合したらしい。

彼の第一印象はイケメンだけど、とんでもない女たらし、だった。
フランスでも、この調子で知り合った女の子とすぐ仲良くなっていたのだろう。
紗良の一番嫌いなタイプである。

この調子ならば、亭主が心配している女子と知り合う機会がないということはなさそうだった。
35まで結婚しなかったのも、遊びすぎて決められなかったのだろう。
だから親にも紹介できないのだ。

だが、彼が遊び人かどうかは自分の仕事とは関係がない。

紗良はタクシーを利用する。
運転できるが彼を自宅まで送る間に、フレグランスプロジェクトの概略を知ってもらうためだ。

気のなさそうに、二階堂清隆は聞く。
プロジェクトについて夢中になって話をするが、あまりに、手応えのない感じに、だんだんと紗良は不安になってくる。
一方的に話しすぎたかも知れなかった。

「疲れているところすみません。
どうしてもポップでモダンな塗香を調合した方に、西洋の存在を主張するのではない、ふと気がついたらなくてはならなくなるような、和のフレグランスを作ってほしいと思うようになったんです。
そういうA社のフレグランスにしたいと思うのです」

そこまで言って、反応を伺う。
二階堂清隆は無言である。
これは脈ゼロかもしれない、と紗良は思った。
彼を取り込まないと、紗良のプロジェクトは失敗するような予感もある。

「なんで、あんたに協力しなければいけない?」
二階堂清隆は言った。
ぐっと紗良は喉がつまる。

「信頼関係も、実績もない新たなプロジェクトで、担当がわたしということで信用がないかもしれませんが、これから良い関係を築いていけたらと思いまして、、、」
その時、紗良のスマートフォンがなる。

そのまま無視をしようかと思うが、CM撮影の現場のさやかからだった。
紗良の顔つきが変わる。

「15分だけ寄道してもいいですか?」

紗良は撮影のスタジオに寄る。
モデルの女の子が演技ができないから、山崎直也がモデルを替えたいという話であった。

まだ若くて経験も少ないが、初々しさに社長も気にいって、初恋色のルージュのイメージモデルに大抜擢された、新人モデルだった。
紗良も大変気に入っていた。

「サラさん!わたしダメです!」

撮影現場の雰囲気にのまれて、新人モデルはガチガチで、半泣きである。
小さくなって震え、紗良に向かって飛び付いてくる。

山崎直也も紗良に気がつくと、うんざりと肩をすくめている。
もう20回は取り直しをしているという。
「先輩、どうしましょう、」
さやかも困惑し、モデルを持て余していた。

紗良はぎゅっと唇を噛む。

このままこの子をあきらめたら、彼女には当分大きな仕事がこないだろう。
自信を失えば、もうモデルとしても活躍ができないかもしれないと、紗良は思う。

「ちょっと、この子と二人だけにして」
そういい、スタッフを下がらせた。


二人きりになると、少女をイスに座らせる。
その前に紗良は膝をついた。ハンドバッグから小さなものを取り出す。

「手を出して」

おずおずと差し出された手に紗良は握らせ、その手を彼女の鼻に近づけた。

「いい香りでしょう?
気持ちを落ち着かせてくれながら、内側から美しさを引き出してくれる香り。
あなたにも感じられる?」

充分時間をかけてモデルの子はその香りを体に取り込む。

「、、、はい。とてもいい香りです」
ふわっと少女は笑った。
彼女の小さな体から、緊張感が抜けていくのがわかる。

「わたしのお守りだけどあげる。あなたはきれいだから絶対に上手くいくよ。
ポケットにでもいれておきなさい。
あなただけがわかっていればいいんだから」


素直にモデルはポケットに大事そうにしまう。
「もう、大丈夫です!やれる気がしてきました!」
「うん、あなたならできる」
立ち上がった彼女をぎゅっと抱き締める。
「パワーチャージよ」
そして、モデルの子は顔を上気させて、走っていく。

現場の空気が変わる。
その後撮影は順調に進んでいく。

「先輩さすがです。人たらしです!!」
さやかの尊敬の眼差し。
今回も無事に乗りきれたようだ。
山崎直也もほっとしていた。
「神野、ありがとうな。
なんか、現場の空気ががらっと変わったよ。あんたが来てくれて助かったよ。
このお礼はまたさせてくれ!」

といいつつ、紗良の後で成り行きを無言で見守る二階堂清隆を見る。
その目は普段のひょうきんな山崎直也ではない。
男同士はどこか張り合うのだろうか、と思うが紗良には関係のないことだった。

その後まっすぐ彼を送り届ける。
二人は無言である。
紗良も撮影のハプニングでぐったりである。
彼の自宅は日本家屋の豪邸だった。

車を降りる前に男は口を開いた。
「あれは麻薬か何か、薬がはいっているのか?」
「あれって、彼女に渡したもののこと?」

モデルの落ち込んでいた気分を嗅ぐだけで落ち着かせ、笑顔にさせたアレ。
紗良はあははっと笑った。

「、、、何が可笑しい?」

二階堂清隆はムッとする。
紗良は言わずにはいられない。

「だって、香りのスペシャリストのあなたが、麻薬だなんて。きちんと調合された香りには人の情動に働きかける力があるでしょ?
あれは、松香堂でわたしが作った、におい袋よ?」
「におい袋だって!?」
これが最後のアプローチだった。


「わたしは香りが人の気持ちにダイレクトに働きかけるその力を身をもって知っている。そして和の香りが大好き。
和の香りをベースにした女子を元気に、またきれいにするフレグランスをあなたとともに作りたいの」

まだ、名刺を渡していなかったことを思いだした。
胸元の内ポケットから名刺入れを取り出し、裏に携帯番号を記入して、押し付ける。

「その気になったら連絡ください」

最後の彼からの問いかけで、勝算は、見込みゼロから半々に跳ねあがったと思った。

タクシーは二階堂清隆を置いて走りだす。
振り返った紗良は、玄関前に立つ彼が、紗良の名刺を顔に近づけたのを見る。

ぞくぞくする感覚が背骨に沿って走る。
紗良の名刺の匂いを嗅いでいる!
二階堂清隆に耳の下に鼻を押し付けられたような錯覚を受けた。
あわてて振りきるように、パンパンと顔をたたいたのだけれど。

一ヶ月後、A社のルージュのイメージモデルが蕩けるような笑顔で初恋のキスをするCMが流れる。
そのモデル、あやめは初々しさと大人の狭間の危うさでもって、見るものの心を捕らえる。
そして一躍、人気モデルの仲間入りを果たしたのだった。


そして、紗良の携帯が鳴った。
待ち望んだ二階堂清隆からだった。
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