夢はダイヤモンドを駆け巡る
 ほっそりした青白い顔に、ふちなし眼鏡をかけた、いかにも神経質そうな目つきをした男子高校生。

 それが小神忠作だ。

 時と角度によっては大学生に見えることもあるし、中学生に見えることもある。

 あるいは「忠作」というその名の通り、平成時代の人間ではなく実はタイムスリップしてきた前近代の人間なのではないかと思える発言をすることもあった。

 まさしくカメレオンのような男だ。

 黙って微笑んでいればそれなりに美青年めいて見えるのかもしれない。
 決して顔立ちは悪い部類には入らないと言える。

 けれども残念ながら、一度たりともわたしの目に「美青年」として映ったことはない。

 なぜならば小神は決して微笑まないし、黙らないからだ。

 それも、口を開けば奇人・変人丸出しの言葉の連続なのだから、「美青年」の「び」の字も風に飛ばされ綺麗に消え去る。

 小神は、この春高校二年生になったわたしより学年がひとつ上である。建前の上では「先輩」であり、実際に(やむをえず)小神を呼ばねばならない時にも「先輩」とわたしは呼んでいる。

 だが、心の中では決して「先輩」と呼ばないことにしている。

 「先輩」という敬称は、本来自分が尊敬している年上にだけ使うべきものだとわたしは信じている。

 しかしわたしは小神を尊敬していない。

 よって、頭の中でやむをえず小神忠作のことを思考せねばならない場合には、「小神」と呼んでいるのである。

 小神とわたしは部活や委員会などの、学年を超えたつながりが発生する同一の小集団に所属しているわけではない。

 わたしは部活に無所属で、小神はオカルト研究部……いや、心理学研究部だったっけ?

 とにかく、そういう「○○研究部」とかいう名称の、まったくわたしの趣味嗜好とは縁遠い部活に所属していたはずだ。

 小神のことになどほとんど関心がないので、この情報は確かではないけれど。
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