【短編】いとしの魔王陛下
 国政の重鎮を輩出することも多い、誇り高き純血エルフにして、格式高き魔王城のメイドであるジェシカは最近悩みを抱えていた。
 それというのも、先日より使用人として城に紛れ込んできた小憎たらしい『人間』の娘のことである。
 ―――そもそも、世界最高峰の仕事の精度、細やかな気配りが求められるこの城になぜ『人間』の娘などがいるのか。
 先の統一戦争から早八十年近く、ほとんどの『人間』は南の果てに追いやられ、尊き魔族の生活圏で見かける者は数えるほどだ。彼らもせいぜいが馬の番や豪商の屋敷の清掃に従事するのみだというのに―――よりによって王城のメイドとは!
 なんでも、家出娘を陛下が不憫に思われ、しばらくの間行儀見習いとして城に置くことにされたらしい。
 噂では正式な目通りの許可書などはなく、夜分にいきなりやってきたそうだ。
 そのような不躾極まりない娘にまでご慈悲を垂れるとは…さすが我らが主、魔王陛下。ご容姿のみならず、御心までお美しいのだ。
 いや、美しいだけではない。聡明で、気高く、かつユーモアもお持ちで、まさに光の化身、民草のよりどころ、すべての輝けるものも、かの高貴な方の前では色あせ―――
 …それで、えぇと、そう。
 問題はその『人間』だ。
 極めつきに、その娘は勇者だというではないか!
 勇者といえば抵抗勢力の筆頭、『人間』の中でもとりわけ野蛮な者どもだ。
 お優しい陛下は、まだほんの子どもだから捨て置くようにと笑っていらしたそうだが、そうはいくまい。
 万が一…、万が一にでも陛下の玉体が傷つけられることでもあれば、小娘の命では到底釣り合わないだろう。
 …駄目だ、考えただけでも背筋が凍る―――
「あっ、ジェシカ!」
 物思いにふけっていると、突然呼び止められた。
 この無神経で甲高い声は…
「良かった! 迷っちゃってさ、リネン室ってどうやって行くんだっけ?」
「…勇者さん」
 ジェシカの眉間にシワが寄る。
「何度も言っているように、廊下は走らないでください」
「無理だって。この広さでのんびり歩いていたら、移動だけで日が暮れるよ」
 まったく。
 ため息をつきかけて、ジェシカの眉がキリリとつり上がる。
「それに、なんという格好をしているんですか!」
「え…」
 城には日夜、軍事、経済、その他ひとかどの客人が訪れるのだ。
「おかしいかな」
「配給の制服はどうしたんです」
 黒のロングスカートという、シックで伝統深いメイド服は王都の女性なら誰もが憧れる衣装だ。
 子爵令嬢として育ったジェシカにとっても、王城での奉公は長年の夢だった…初めてこの制服に袖を通したときの、なんともいえない感動を今でもはっきりと覚えている。
 それがなんということだろう!
「お願いですから、野良犬みたいな姿で城内をうろうろしないでください!」
 仮にも淑女でありながら、勇者は太ももまで見える短すぎるズボンにタンクトップ姿だ。
 ジェシカの心からの叫びにも、勇者は不満そうだった。
「さっきまでエプロンはしてたんだけど…、なんにしても丈が長すぎて動きづらいんだもの」
「だからこそ、楚々とした立ち居振舞いが身に付くのです!」
 目眩がしてくる。
 がっくりと額に手を当てて、その指の隙間からジェシカは勇者を睨んだ。
 最大の問題は別にある。
「…あー、お説教はあとで聞くからさ、とりあえずリネン室の行き方教えてくれないかな」
 大きな洗濯カゴを抱え直して勇者は苦笑う。
「今日の昼食、陛下に呼ばれてて。もうあんまり時間がないから、早いところ仕事を済ませないとまたメイド頭に怒られちゃうよ」
「…」
「ジェシカ?」
 そう、あろうことか、この野良犬娘を陛下がお気に召していて、なにかとお側に置かれたがるのだ!
 犬猫と一緒と思えど、とても平らかな気持ちではいられないジェシカなのだった。
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